我が家の花壇にある知人から貰った薔薇が、今年は、かなりよく咲いてくれています。
日々の手入れは、全く、出来ていないのですが、今のところ、虫も病気もついていないように思います。
後は、早めに花柄の「切り戻し」をしてやろうと考えているのですが・・・ま、何時の如くに、我が気分次第という事になりそうな気もしているのです。
我が家の花壇にある知人から貰った薔薇が、今年は、かなりよく咲いてくれています。
日々の手入れは、全く、出来ていないのですが、今のところ、虫も病気もついていないように思います。
後は、早めに花柄の「切り戻し」をしてやろうと考えているのですが・・・ま、何時の如くに、我が気分次第という事になりそうな気もしているのです。
先日、奈良に住む友人が、数年ぶりに訪ねて来て、一応、当地で「最高のおもてなし」である「富士山」を堪能して貰ったのだが、天候の加減で全体の姿を現してくれていなくて、少し残念!
友人が帰ってしまった後に、偶々、畑に出て観た「夕暮れの富士山」の姿が印象的で、その写真を撮って友人に送った。
傲慢な奴と言われてしまいそうだが、案外、当地の人間は、常に富士山を眺め観ることは少ないが、富士山を見たいという来客(観光客も含めて)があって改めて意識する(ま、私だけなのかも知れないけれどね)が、そんな時に、結構、素敵な富士山に出会えたりするのである。
上部画像:ズームで引き寄せた「夕日に佇む富士山」 下部画像:田圃に張った水面に映る「逆さ富士」
数年前、畑に移植した「シャクヤク」は、最近、何故か花が開かない(蕾が膨らんだ状況で)うちに枯れて(正確には腐って)しまう、多分、病気が付いたのかも知れないが、今は、その対策を取る力が湧いて来ない。
無事に咲いた花を観賞すると、後は、皆、切り取ってしまっている・・・今年こそは、何とかしないと、全部、ダメになってしまうかも。
今のところ、花壇(畑にある)の草取りも、一向に進んでいない・・・
何と、本日は5月20日です!
驚きと言うか、まぁ当然と言うか・・・時間は容赦なく過ぎて行くのですよね。
4月中旬から5月中旬まで、日常、とりわけ急ぐような用事の無い私にも、確かに、かなり濃い日々だったことは認めざるを得ないが、だからと言って、ブログが書けない程、目まぐるしい日々であった訳でも無い。
要するに、ただただ怠けていたという事なのだ。
知人の病に続く逝去から始まり、東京から友人来訪(2泊3日)、地元友人とのランチ兼お茶数回、前職勤務時の友人らと数年ぶりで東京での食事会をするというのに、山姥のような我が姿の改修・改善のために、急遽、美容院に駆け込み、東京に住んでいたと言えども不慣れな場所(広尾)での会食に疲労困憊し、帰宅後ダウンしていたところへ、町に住むちょい問題の友人が突然の押しかけ来訪、一日中ショウモナイ話に付き合わされどうにか帰って貰った翌日早朝(午前7時前)に、関西に住む友人が来訪(1泊2日)して、これまた数年振りであったから、あれこれ話が溢れ続き、翌日は近くの植物園で薔薇と富士山を楽しんで貰った。
これだけで、かなり疲労感が上積みされているように感じているのに、明日(21日)は、市民生涯教育教室での先生とお仲間との展示会後にランチ会に参加した後、自ら解決策を図れない問題の友人のトラブル解決に尽力(?)しなければならない・・・と続く。
まぁ自らが導いた結果だと言えるだろう出来事に孤軍奮闘しているのだよ・・・という訳である。
時折、花壇や庭の草取りも、少しづつだがこなしている時間もあったけれど・・・そう、少しだけね。
と言う次第で、21日が過ぎたら、少し落ち着いてブログに向かいたいと考えているという言い訳をもって、「我が家の裏手にある竹藪(他人様の物)に咲く初夏の花々」をご覧あれ。
裏の藪に生える、多分、「孟宗竹」のタケノコを駆除するのが日課となる
「宇津木」と思われる2種類の山野草が咲く「よそ様」の竹藪
同じ竹藪に「常盤つゆ草(野方他唐草)」と呼ばれる「特定外来種」が、正に蔓延った状況となっている。
私が知らずに別の山に生えていたこの草を家に持ち帰って来た結果であって、至極反省しているが後の祭。
庭には、次々と花が咲いて来ているので、一応、ブログを更新する時のためにと撮り溜めてはいたが、我が脳細胞は創造的活力が、全く、欠乏の為に何も更新材料が見つからないのである。
で、又しても、手抜きの「我が家の庭の季節の花達一挙掲載」を試みる・・・ホント、これでイイ訳ないのよね、凄く反省!
とは言っても、如何にしても何のアイデアも文章も浮かんで来ないので、とりあえず一週間(20日以降には何とかしようと・・・)、これでお許しを頂きたい。
庭の一カ所に群生させていた「十二単」を、2,3年前、根を分けて数カ所に植え直した。
僅かな手入れでも、結構、増えて行くので、今年は、庭のあちらこちらで花が咲いてくれていて、落ち着いた色合いながらも、一方では華やかな雰囲気を演じている。
「アジュガ」は「西洋十二単」と言って、「日本原産十二単」とどこかが違うようだが、我が家のこの花は、「日本原産」なのか「西洋原産」なのかは、毎度の如くに、私には、全く、不明なのである。
「爽やかな五月晴れ」だと、何の疑いもなく5月1日を迎えたが・・・今朝は柔らかな雨降りで、少し湿度が高いかも(午後からは結構な大降りとなった)。
ま、世が問う「異常気候変動」の所為か、或いは、前々から5月と雖も、案外、こんな天気だったのか、相変わらず、過去を引きずらない(?)私なので、確なところは覚えが無い。
但し、何故か、朝一には「今日は4月1日」と認識していた・・・まぁ、私にとっては4月であっても5月であっても大した違いは無いという事だろう。
最近、かつての仕事仲間や遊び仲間(故郷にUターンする前に出会った方々)と、目の前に会える機会が巡って来たならば積極的に会おうと決めている、つまり、ある意味、終活(自分自身のケジメ)の一つと考えているからなのだが、自分から機会を作ることがシンドクなって来ているので、せっかくの機会は逃したくないと思うのである。
大型連休を避けた5月半ばには東京時代の仕事仲間と会食(西麻布ですって・・・ちょいシンドイかな?)、その3日後には、三十数年前の海外の旅で友(現在、奈良在住)となった友人が、我が家を訪れて数日間滞在予定、月内には帰郷後の遊び仲間(現在、私は既にその遊びの会から脱落)が久しぶりに集まると言うので便乗させて貰う事となっている。
まだ日時は確定出来ていないが、多分、2年余り会えないでいる静岡市在住の友人との約束もしてあった。
意識的に会う機会を集中させた訳では無いが、人間て、案外、会いたくなる季節があるように思うんですよね、だから、呼びかけにはあえて避けようとは思っていません。
花壇(畑にある)の草取りも目の前にぶら下がっているが、これも気分が向いてきたら始める積り・・・いつのなるのかは不安だけれどね(最近、良く雨降るし・・・)。
でも、知人・友人らに会うのは梅雨に入る前に・・・とは思っている、そう、やはり、「五月晴れ」の日に会える方が気分がイイものね。
季節が一気に春めいて来ると、枯れ葉色だった周辺も暖かな色合いに変化して可憐な花を咲かせている。
何か気持ちも弾んで、やたら写真を撮ったものの、全てをブログに掲載出来なくて(つまり適当な文章も浮かんで来なく)お蔵入りしそうな写真らだが、やはり春の神様に申し訳ないような気分になり、纏めて掲載することでお許しを頂こうと思う・・・と、講釈を言いつつ、楽と安易を選択する何時もの私なのである。
近所の川の中に繁茂する「クレソン」・・・食用可能らしいが食する気になれない、でも、花は可愛い!
ご近所さんの畑に植えられた(と言っても、現在はほゞ自生地ような雰囲気)「カモミール」。
穏やかな天気の時、通りかかったり、そっと花々に触れたりすると甘~い香りが辺り一面に漂う
我が家の庭に植えられた「花海棠」・・・昨年の剪定が良かった(自己満)為か、花付が豪華に見える。
姉が鉢植えにして育てている「一重咲山吹」・・・以前、庭のどこかに「八重咲山吹」もあったような・・・
姉が、亡き父の遺産(唯一?)である「白藤」を受け継き、一切の世話をしている。
私は眺めるだけ・・・と言うより、私は手を出せないというのが正しい表現。
「藤」と同じ場所にある、多分、母の遺産(?)の「つつじ」の手入れは一切(イイ加減だが)我が担当。
何故そういう担当分けになったのかは不明。
でも、姉は生前の母を嫌っていた節があり、父は好きだったからでは?・・・と、密かに勘繰っている私。
多分、「ソメイヨシノ」ではないと思う。
最近では、近所の神社に数本ある桜の木でお花見をしている、つまり人混みが嫌だから・・・
我が家から歩いて畑に沿った農道をブラブラと散歩をしながら10分程、人っ子一人いない神社で、あたかも「MY-SAKURA」ごとき思いを込めて大きく成長した桜の木を見上げるのである、結構いい気分!
でも、悲しいかな、今年の桜は、気候変動の為なのか、或いは、もう賞味年齢に達したのか花も「儚げ」な風情なのだが、これもまた「自然の営みの経過」であって、一層、花にも木にも心が寄り添うのであった。
先日亡くなった知人の納骨を、知人にとっては故郷である我が地域の墓地(実家)に納めることになった。
その墓地には、知人のご両親のお骨も納められていて、以前からの知人の希望でもあったのは聞いていた。
まぁ、いろいろあった知人の生涯だったが、最終的に希望が叶えられたことで「過去は帳消し」になって欲しいなと願う。
墓地の傍の道路沿いには、正真正銘の「ソメイヨシノ」の並木があり、既に、はらはらと花びらが散り始めていた。
知人宅は神式なので、あまり良くは分からないが、神主さんが知人の御霊を送る祝詞(と説明されたような)を上げていた時、まるで儀式の効果手順であるかのように一陣の風が吹き、辺りを桜吹雪にしたのだ・・・これにはさすがにぐっと来るのもがあった。
神式にあの世があるのかどうか知らないけれど、もしあるならば、知人を暖かく迎えてくれているように感じたのである。
気分一新したいところに、いいタイミングで友人からメールで「ランチとお茶」のお誘いあり、早速、日時を決め返信、また、遊び仲間の同級生からも、ちょい旅に出るからというメールが入り、今度はこちらから、旅から戻ったらお茶しようよ(お土産があるらしいので)・・・と誘った、これは、多分、来週だな。
今週火水木には、東京在住の友人が我が家に泊まりに来るのから、今日(月)は、その用意(と言っても、何もしないと宣言してあるが・・・)として、少し冷蔵庫内を埋めるものの買い出しに行こうと思っている。
こんな風にバタバタとしているうちに、私の日常もいつしか通常に戻って行く・・・が、我が心の平安を乱す輩も出てくるのであって、あぁ、そうだ、あれから全く電話が通じていないあの友人宅に、再度、行って来なくちゃ・・・とかね、私自身で問題を作っているのかなぁ・・・って思う時もあるんですよね
ご近所さんの畑には「枝垂れ桃」が見事な花を見せてくれている。
写真を撮ってもいいよという申し出に、余りにも豪華絢爛たる姿に気おくれしたので、前面にひっそり咲いていた「菜の花」を撮って、「枝垂れ桃には菜の花が良く似合う」と、「太宰治・富獄百景」風に気取ってみた・・・しかし、残念ながら、この被写体の構図自体には、如何ほどの芸術性も感じる事は無い・・・というお話。
ここ十年程、気に掛かっていた知人が、昨晩(4月6日)彼岸へ旅立った。
私と知人とは同年齢で、同じ地区内に生まれて幼稚園から中学校まで(高校は違っていたと思ったが、定かな記憶はない)一緒に学んだ間柄で、親友ではないが幼馴染(遠い親戚でもあった)としての付き合いをしていた。
知人が結婚と同時にこの町を去り、私は仕事などで都会に住むようになって、お互いの関係も薄れて行った。
が、私が定年を迎えた時点で、実母の介護のこともあり地元に戻って来た時に、周囲に遊び仲間(正式には飲み仲間)もない寂しさもあって、我が地区の同級生(11名)同窓会を地元で開催すべくアプローチし、8名から賛同を得られて開催にこぎつけたが、知人はその時の賛同者の内の一人であった。
その時を境に、急速に戻った付き合いの中で、知人の現況を知り、他人事だと無視出来ない気持ちを持つようになったが、知人の現居住地も近くは無かったし、交通手段も一本で行ける環境で無かったから、足繫く出かけられないので、「用事があったら電話をしてね。その時には、出来るだけ来れるようにするから」と話し、時折頼まれたことをこなしながら現在に至っていた。
昨年暮れ辺りから、知人の健康状態も思わしくなくなって来て、呼び出されて出かけるという事より、気になって様子を見に出かけるという事が多くなってきたが、私の個人的な判断でも、もう一人(介護は入っていた)で暮らすのは無理ではないか・・・と感じるようになって、なるべく、ケアマネさんと相談するよう勧めたところ、知人自身も先行きを考えていた(今更もう遅いよ・・・とも感じもしたが)みたいだった。
「3日後に病院に行くからその結果をみて判断する」という知人からの電話で、「行く先が決まったら連絡してね、持ち出す荷物やら、自宅の片づけなど出来ることを手伝うからね」と電話口で話した時、何か息苦しそうなのが気になったが・・・その翌々日の晩、知人の姉(80歳になる)から連絡が来て、救急搬送され、現在危篤状態だと言うが、私は、内々に既に想定もして、別れの心構えは出来ていた事もあって、今から駆けつけることは時間的に無理なので看取りには行けない旨を了解して貰った。
幼少時代はさておき、ここ十数年の付き合いから思えば、何と呆気ない別れだなぁ・・・が実感だが、一方では、知人の晩年の生き方を見ていて、過去に囚われて現在を悲観し心に平安の無い人だったから、ある意味、これはこれで良かったかも知れない・・・という思いもする。
私自身は、人間の生死の場に接しても、ある程度(かなり?・・・かも)感情希薄であることを認める、人間として当然の(避けられない)経過・・・という諦観的な思いがある。
どう生きるか、どう死ぬか・・・は、一概に標準化は出来ない事だし、前もって老後に際しての生活の準備・心の準備が出来ていることが理想的ではあるが、人間(だからこそ?)、皆、そう出来るとは言い難い。
「死」を泰然自若として迎えるか、悩み恐れながら「死」に至るかは、良し悪しではなく、個人差でしかない。
ただ、自分自身が、だんだんと年を経る毎に、身近な死の体験を通して、何となく、自身にも心構えが出来て行くように感じているのは、余りにも「終活・終末」を安易で楽観的に考えているのかなぁ・・・って、思ってはいるけれどね。
我が家の小さな庭の中でも、今まで色の無かった花壇などにも、次々に花を咲かせて来ており、確実に、「春」を感じるようになっています。
この「木瓜」は、まだ肌寒い頃より咲き始めていたが、最近の花色が鮮やかに見えるのは、私の春を待ち望む感情移入の為なのでしょうか・・・・
3月初旬に物理的にも精神的にも解放された以降、この作業が終わるまで・・・と、脇にどけていた様々な事の対処を始めた。
まず、知人(現在、病の為に自由な行動が出来ない状況にある)から依頼されていた「ガラケーケイタイ」の購入が可能かどうか、私の地元にあるDショップに出向き機種(ともかくガラケーだから)が購入可能かどうかの確認をする。
それから資料を持って知人宅を訪ね、了承を得て「委任状」を書いてもらい、その委任状を持参して、再び我が地元のDショップに行った。
その店舗では、第三者である私が新規契約をするのはかなり難しいとの説明を受けた。
で、その内容をよく検討した後、今度は、も一度知人の地元にあるDショップに予約を取って行ったところ、結論としては、私が代理で契約するのは「法律的に不可能」という回答だったのだが、私自身としては、この件に関しては理解しつつも、でも、文句(と言うより捨て台詞的)の一つも言いたくなり、「要は、動けない知人が緊急の場合に連絡を取りたいからというケイタイさえ購入出来ないという事ですよね。納得しました、知人には、誰にも連絡できないまま死亡に至ることも考えろと伝えます」と言い放ち店を出た。
まぁ、大人げないと思うけれど、何か言いようのない怒りを感じた訳で・・・ま、そういう事。
知人には、もう私に出来ることは無いので、介護を依頼している先のケアマネさんと、出来る範囲の最良の方法を選択するようよく相談してと伝えて帰宅したのだが、良い結果が出なかったという事に疲労感を覚える。
翌朝、昨日に初めての町中(知人の住む町)でDショップを探し歩き回った為に、痛みのある足腰を庇いながら朝食を済ませて、次なる案件である友人に電話をしたが、「この番号は、只今使用されておりません」、というアナウンス、えっ?、えっ?、えっ?
今までは「只今電源を切っているか電波の届かない場所・・・云々」とアナウンスされていたのに、どういう事?
時計を確認すると現在午前9時前・・・急遽、今出かけようとしていた甥の車に最寄り駅まで便乗し、町の友人宅へ駆けつけた(電車と徒歩で数十分)。
ドアベルを鳴らし、その上にドアをどんどんと叩いたらドアが開いて、多少熱があったので今まで寝ていたという友人がそこに立っている・・・で、私が最初に発した言葉は「どうして電話が繋がらないのよ!」。
友人ポカンとしてた顔をして「え~、電話が通じないの~?そう言えば、最近電話がなかった」と宣う。
「貴女、自分からは電話もしなかったの?」と問うと、「こちらからは電話が出来たから」とか言うので、実際に友人の電話をかけてみたら、「このモバイルは・・・云々」と表示されるので「これで通じた訳?」と問い詰めると「そんなの知らない」と答えるのみ。
私自身では、もう友人はかなりボケが来ていると理解しているから、その返事に当惑することは無いが、外界との唯一の連絡網であるケイタイ(友人もガラケーだ)が通じないのは、誰が一番困るかってことをもっと認識しろ・・・と友人にやかましく注意した。
友人は、明日に販売店に行くと言ったけれど、それも怪しいと私は思っている。
続けて起きたこれらの出来事は、私にだって起こり得ることであり、他人事として放り投げることは出来ないとは思っているが、だからと言って、私自身が出来ることには限界もある。
「春近し」の為か、ここ数日、毎日のように雨が降っている。
その雨音を聞きながら、PCに向かって気分転換をしているが、何ともやるせない思いを払い退けられない私もいる。
この時期に、暖かさを、一層増して感じさせてくれる「リュウキンカ」の黄色い花・・・柔らかな日差しの中で、しばし、眺めていると、いつの間にか眠りに落ちそうな気分になるのです。
3月11日で、甥の申告事務が完了・・・いやいやいや~、心の負担も、肩の荷も、目の疲れも、一斉に解放されましたね。
来年はどうするか?、はたまた、どうなるか?は、とりあえず、横に置いておく事にします。
すっかり気分も緩んでしまっていた午後7時過ぎに、知人から電話が来て、会計専用ソフトが使えなくなったとかで、PCから(国税庁のHPを使って)の申告書入力方法を教えて欲しい・・・と言って来たんですよね。
「う~む、まだやるんかい!」と、ちょいうんざりしたけれど、とりあえず、知人と同時に我がPCも開いて、一項目ごとに入力を指示するのですが、私自身も初めての科目であったし、それ以上に我が脳細胞が拒否反応を示し、HP中の文章を全く理解することが不可能状態という始末(つまり、目が文字をなぞるのみ)・・・で、「申し訳け無いけれど、明日に、も一度電話をして欲しい、その時までに、内容を理解しておくから」と伝えて電話を切ったのです。
そう、それから夜半に掛けて勉強・・・HP上で、架空のシュミレーションを繰り返してみながら、思考を停止し固まった脳細胞を叱咤激励の奮励努力の末でもって、ようやく一応の理解が出来た(と思う)のでした。
翌12日の晩、再び知人から電話が入り、最初から一項目づつ、互いに確認しつつ入力を始め、行きつ戻りつのギクシャクながらも、「あぁ、申告書が出来上がったよ」と電話越しの声を聞いて、「ホント、お疲れさまでした!」と知人にはそう言いましたけれど、まぁ、自分自身を労ったというのが本音ですね。
翌13日には、延び延びにしていた東伊豆の知人宅へ出かけました(タクシー・電車・JRを乗り継いで2時間程)。
知人は、携帯電話の新規契約をしたいとの希望なのですが、ちょっと歩行困難があって、自らショップへ出向くことが出来ないため、以前からその契約代行を依頼されていたのです。
知人は私と同い年、まだボケは来ていないものの、やはり「スマホ」は覚えられないから「ガラケイ」でイイと言うのですよね、電話さえ出来ればイイのだとか・・・
私も「スマホ」は教えられないので、先にショップで「ガラケイ」に関する説明を聞き、その資料を持参して知人の了解を貰い、契約が済んだら、来週あたりに再び訪問して使用方法を教えるつもりでいます。
今、新規に「ガラケイ携帯」を契約することの良し悪し・損得はあるでしょうが、知人が今したいと思っていることを、多少でも叶えて上げられたら良しとする・・・と考えられる余裕が、一つ解放されたことによって、私にも、少しだけ、出て来ているようですよ。
いずれにしても、「この解放感は、体験しないと味わえないもの」で、「ある種の達成感でもある」と思っているのです・・・でも、ただただ、シンドイ!体験なのです。