おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

照ノ富士が引導を渡すまで白鵬が続けられるのか?

2021年04月08日 08時03分00秒 | 大相撲

「あいつだけは絶対に許さない」と先輩横綱に敵意をむき出しにする照ノ富士が大関に復帰しました。『あいつ』とはお察しの通り白鵬のことです。



すみません。何だか色々あって混迷を極めておりましたが、少しずつ落ち着いて来ました。気持ちの安定している時に書きたいことを書いて行きます。

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白鵬にはないと断言されるものであり、今後も身につけられないものが『横綱の品格』と言われています。では、その横綱の品格とはなにものなのか? 目に見えないけれど感じられる存在感、風格のようなものです。立ち合いのかちあげや張り手が見苦しいからという意見もあります。それもそうですが、かちあげは北の富士や北の湖などの過去の横綱も立ち合いで使っていましたし、張り手も多くの横綱が使っていました。技として認められている以上、それが品格を落とすという要因にはなりません。一番大事なのは相手を敬い称える内面の技量です。「心技体」という言葉で『心』が最も大事とされる由縁でもあります。

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大鵬vs柏戸「よきライバルで友人」 柏鵬対決に漲っていた横綱の品格
https://news.yahoo.co.jp/articles/51b3020003c1a373c94da33056cdb7562a1cb71a
※以下、引用です。

昭和を彩った角界の大スターには、自他ともに認める「好敵手」がいた。1963年9月22日の蔵前国技館、千秋楽結びの一番は全勝同士の横綱対決となった。今も角界で「昭和最高の決戦」と呼ばれる一番だ。

西の横綱・柏戸は4場所連続の休場明け。対する東の大鵬は前年7月から6場所連続優勝中。大方の予想では柏戸の敗色濃厚だった──。

対照的な2人は国民を魅了した。好角家で知られる芥川賞作家の高橋三千綱氏が回想する。

「土俵を広く使い、懐が深い相撲を取る柔の大鵬に、一直線で相手を土俵外に運び出す剛の柏戸。今の相撲で一番ダメなのは、肝心なときに引いて墓穴を掘る力士ですが、この2人は絶対に引かなかった。横綱同士はこんな相撲を取るんだと、子供心に感動しましたよ」

2人の取組を実況した元NHKアナウンサーの杉山邦博氏は、今でも鮮やかに脳裏に甦るという。

「柏戸さんの一番で“柏戸、走った”と表現をしたことが何度もあった。立ち合いから1~2秒で相手を一直線で土俵の外にもっていく。対する大鵬さんは土俵の曲線をうまく使って勝つ。速攻の柏戸はアナウンサー泣かせで、じっくり取ってくれる大鵬さんはアナウンサー冥利に尽きました。

2人にはドラマがあった。新入幕で11連勝していた大鵬さんに土を付けたのが小結だった柏戸さんでした。リードしていた柏戸さんに大鵬さんが追いつき、同時に横綱に昇進。その後、一気に追い抜いた。世間が“大鵬時代”の到来を確信していたときに、あの千秋楽の一番があったんです」

立ち合いは互角だったが、右を覗かせた大鵬が土俵際まで一気に寄って出た。こらえながら左前まわしを引きつけた柏戸が寄り返し、右に回り込みながら右下手を奥深くに差すと、そのまま正面に寄り切った。

横綱になって初めての優勝に、柏戸は気持ちを抑え切れなかった。

「私がマイクを向けると横綱の顔から大粒の涙が溢れ、『ありがとうございます』と答えたきり声にならない。私もグッと来てしまい、結局、何十秒か無言のまま嗚咽を伝えただけで終わってしまいました。取組後、大鵬さんは『世間で大鵬時代といわれていたが、俺は慢心していた。大いに反省させられた』と打ち明けました」

優勝回数は大鵬の32回に対し柏戸は5回と開きがあるが、対戦成績は大鵬の21勝16敗と競っている。現役中は口もきかなかったという2人だが、引退後、互いへの感謝を語っている。

〈大鵬がいたお陰でここまで来られたって感じ。(中略)向こうは、オレがだらしないんで励みにもならなかっただろうけど(笑)〉(『相撲』1991年7月号)

〈よき目標であり、ライバルであり、友人であった柏戸さんに出会えて私は本当に幸せだった。あなたがいたからこそ大鵬があったと感謝している。最近も雑誌に「大鵬あっての柏戸」と書いてあったので「違います。柏戸あっての大鵬です」と訂正をお願いした〉(自著『巨人、大鵬、卵焼き』)

これぞ横綱の品格だ。


           

大鵬の全盛期は私の小学生当時ですが確かに記憶があります。その頃、柏戸は下降線を辿っていたので「脆い横綱」のイメージが強く、寧ろしぶとい佐田の山の方が記憶に残っています。

大相撲はその後台頭した北の富士と玉乃島(後の玉の海)が同時に横綱に昇進し、柏鵬時代に続く「北玉時代」到来と言われましたが、名横綱になれる大いなる資質を有しているとされた玉の海の急逝によって時代は短命に終わりました。玉の海の死因は当時は虫垂炎を我慢して土俵に上がり続け、大鵬の引退相撲に出席しないといけないという横綱の責任を全うするという玉の海の律儀な性格が仇となって腹膜炎を併発したことと思っていましたが、実際には虫垂炎と腹膜炎の手術は成功して退院間近だった時に突如襲われた「急性冠症候群及び右肺動脈幹血栓症」いわゆる肺血栓によるものだったと知ったのは後のことでした。ただ、この時、玉の海が強い責任感で土俵に上がり続けたことが命取りになったことは間違いありません。虫垂炎の悪化に加えて肋骨を折った状態だったのですが、それでも土俵に上がるという強い気持ちが、その後も続いていれば大鵬を凌ぐ横綱になっていたかも知れないと言われた玉の海の命を奪ったことになります。横綱というのはそういう命懸けの地位だということを命をもって教えてくれた玉の海と比べても、現在の横綱が何と陳腐なものかと情けなくなりますよね。北玉時代となる筈だった2人の横綱、北の富士と玉の海を柏鵬に例えると、北の富士が柏戸、玉の海が大鵬という感じの相撲っぷりでした。



五月場所を休場することが決まっている白鵬ですから場所のポスターに顔を出すことはないでしょう。七月場所に進退をかけると伝えられている白鵬ですが、そのカウントダウンはもう始まっていると感じます。

ところで、以前白鵬が入門前の照ノ富士にした仕打ちの話を書いたことがありますが、白鵬の悪行はそれだけではありません。



照ノ富士と白鵬の間に大きな壁 4年前の「土下座事件」の遺恨
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f5693daabfd9be1eddce43c69f26e89a9487d4f
※以下、引用です。

一度は序二段まで番付を下げながら、3月場所で優勝を果たし、見事に大関復帰を決めた照ノ富士。膝の故障に苦しんで長く低迷したが、その“元凶”ともいえる事件を起こしたのは、同郷の先輩横綱だった。7月場所に進退を懸ける横綱・白鵬と、土俵上でついに4年越しの怨念がぶつかり合う──。

3月場所は、番付上位のモンゴル勢の明暗がくっきりと分かれた。

関脇・照ノ富士は3度目の優勝を果たし、3年半ぶりとなる大関復帰を決めた。平幕以下に転落してから大関に返り咲き、“2度目の伝達式”を経験するのは、1977年初場所後の魁傑以来、44年ぶり2人目となる。

「2017年9月場所で大関から陥落し、翌場所も初日から4連敗して5日目から休場。そこからは坂道を転げ落ちるように負け越しと休場を繰り返し、2019年3月場所では序二段まで落ちた。ほとんど観客のいない時間帯に元大関が相撲を取るなんて、前代未聞です。そんな屈辱的な状況から、幕内、そして大関まで返り咲いた照ノ富士の土俵への執念には、凄まじいものがある」(後援会関係者)

その一方、3月場所11日目にはモンゴル出身の先輩にあたる横綱・鶴竜が引退を決断。一人横綱となった白鵬も、現役続行の瀬戸際を迎えている。

「長く角界最強の座にあった白鵬だが、3月場所は初日から2連勝したものの右膝のケガで3日目から休場。場所中に膝を手術して復帰は7月場所になり、これで6場所連続休場です。次の本場所の土俵で結果が出せなければ、いよいよ引退に追い込まれることになるだろう」(協会関係者)

3月場所の千秋楽翌日に開かれた横綱審議委員会の定例会では、白鵬に対して、昨年11月場所後に出した「注意」の決議が継続されることが決まった。「引退勧告」に次ぐ2番目に重い決議だ。

ただ、「白鵬はまだ現役続行に自信を持っている」とする声がある。若手親方がいう。

「本人は15日間出場すれば優勝できると考えているだろうし、“7月場所は最低2ケタ勝てば現役続行に問題なし”といった認識で、まだまだ延命するつもりではないか」

たしかに、3月場所の大関陣の体たらくを見れば無理もないかもしれない。朝乃山と貴景勝が10勝5敗、正代に至っては7勝8敗と負け越して来場所はカド番となる。

そうしたなか、白鵬の“延命計画”に待ったを掛ける存在となりそうなのが、照ノ富士なのだ。

「12勝3敗で3月場所を制し、“今度こそ横綱昇進”を狙うのだから、打倒・白鵬の筆頭格になるのは当然ともいえるが、それ以外にも照ノ富士には対白鵬戦に執念を燃やす理由がある。約4年前の“事件”の因縁です。7月場所では、いよいよ土俵上で決着がつくことになると、関係者の注目を集めています」(同前)

「壁があるので」
その“事件”とは、モンゴル力士グループの人間関係に、決定的な亀裂を生じさせた2017年10月の「日馬富士暴行事件」である。

「もともと、同じモンゴル勢のなかでも、玉鷲や逸ノ城ら、白鵬と距離を置いている力士はいたが、この事件をきっかけに、グループ内における世代間対立の構図がくっきりと浮かび上がった。事件の経過を辿ると、白鵬と照ノ富士の2人の間にも、大きな“壁”があることがよくわかる」(ベテラン記者)

2017年9月場所後の鳥取巡業を控えた10月25日夜、地元の相撲強豪校・鳥取城北高校の関係者と力士たちの食事会が開かれた。参加したのは白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱(当時)、鳥取城北OBである照ノ富士、貴ノ岩、石浦の関取衆3人を含む計13人だった。食事会は3時間以上続き、二次会の席での日馬富士による貴ノ岩への暴行が、角界を揺るがす大事件に発展した。

「スマホをいじっていた貴ノ岩が咎められ、カラオケのリモコンなどで日馬富士に殴打されました。貴ノ岩の師匠である貴乃花親方(当時)が警察に被害届を出し、協会内は大混乱に陥った。日馬富士は責任を取って廃業。その後も、火消しに躍起になる八角理事長(元横綱・北勝海)と、うやむやに済ませることを拒んだ貴乃花親方の対立が先鋭化。結果的に、貴乃花親方は翌年、協会を退職するに至った」(同前)

この一件は「日馬富士が貴ノ岩を殴った事件」として記憶されているが、照ノ富士も現場で“被害”に遭っている。前出の協会関係者がいう。

「これは単なる力士同士のケンカなどではなく、白鵬を頂点としたモンゴル力士グループの歪な“支配構造”が元凶となった事件でした。白鵬や日馬富士が、貴ノ岩や照ノ富士ら後輩を締め上げるという構図です」

当時、協会がまとめた調査報告書にも、照ノ富士が現場で受けた仕打ちについて記されている。

それによれば、日馬富士は照ノ富士を正座させたうえで、「稽古に気合が入っていない」などと説教。何かあるかと問われた照ノ富士が「横綱、自分たちは思っていることは言えないんで。壁があるので」と答えると、日馬富士が頬を張り、照ノ富士は一言、こう応じたという。

「ごっつぁんです」

これだけでも、同郷というだけでそこまでの“上下関係”があるのかと驚かされるが、さらなる問題を指摘するのは、前出の若手親方だ。

「当時、貴乃花親方サイドは、協会のまとめた報告書が“貴ノ岩の印象を悪くしようとしている”“白鵬に不利にならないように事実と異なる記載をしている”などと問題視して、独自に意見書を作成して協会に提出している。意見書は貴ノ岩ら“被害者側の立場”に立った内容になっていた。それによれば、『壁があります』といった照ノ富士に対して、白鵬が『何が壁だこら。土下座しろ』と応じて、膝の故障を抱える照ノ富士を正座させて説教したというのです。膝が痛む照ノ富士は正座が続けられず、途中から膝立ちの状態で叱責を受けていた。日馬富士と貴ノ岩は角界を去りましたが、今も現役を続ける白鵬と照ノ富士の間には、その時からの因縁があるわけです」

膝のケガを抱える照ノ富士が、事件当夜の“正座強要”のあと、故障が思うように回復せず、番付をどんどん下げていったのは前述の通りだ。今なお、照ノ富士は両膝に分厚いサポーターを巻いて、土俵に上がっている。

年寄株も渡さない
事件の余波は大きかった。照ノ富士の師匠である伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)も、加害者である日馬富士の師匠だったため、監督責任を問われた。当時は協会の理事で、一門の統帥の立場にあったが、2017年11月場所後の臨時理事会で自ら理事職の辞任を申し出て、2階級降格となった。翌年の理事選は出馬断念に追い込まれ、元横綱でありながら理事長レースで大きく後退した。

「日馬富士だけでなく白鵬にも責任があるはずなのに、自分の弟子だけが廃業に追い込まれた伊勢ヶ濱親方の苦悩は相当なものだっただろう。だからこそ、白鵬の年寄株問題を巡っては、意趣返しのような状況も生まれている」(前出・ベテラン記者)

力士が引退後も協会に残るためには年寄株が必須だが、白鵬は襲名できる株が調達できていない。横綱経験者は5年間、現役名のまま協会に残れる特例があるものの、取得できないまま期限を迎えれば、その時点で退職しなくてはならない。

「だからこそ白鵬は株の調達を急いでおり、狙いとなるのは定年退職者。現在の協会では65歳から5年間の雇用延長が認められているが、今年5月までに70歳を迎える親方が4人いる。そのうちのひとりが伊勢ヶ濱部屋の桐山親方(元小結・黒瀬川)です。白鵬が所属する宮城野部屋も同じ伊勢ヶ濱一門だから、この株が回ってきそうなものなのだが、難しいとみられている。部屋を仕切る伊勢ヶ濱親方との因縁もあるし、日本国籍取得の意向を明らかにして協会に残ろうとしている照ノ富士か、幕内の宝富士が、部屋の後継者候補として株を継ぐのではないか。白鵬にすれば後輩で格下の照ノ富士が、自分より先に年寄株の手当てができることになり、心中穏やかであるはずがない」(同前)

白鵬と照ノ富士の最後の対戦は、暴行事件前の2017年5月場所に遡る。その時は白鵬が勝利したが、それ以来となる次の7月場所の取組では、互いの怨念が正面からぶつかり合うことになる。


           

これは一般向けの記事である為に白鵬の悪行についてもだいぶ遠慮して描かれているのが分かります。

そんな因縁の2人が7月場所で対決と書かれますが、多くのファンは「2人の対戦まで白鵬が延命してほしくない」と真剣に思っているでしょう。それまでに白鵬に引導を渡す力士がいてほしいと皆が願っているような横綱に角界に残ってほしくないし、一代年寄などもっての外と感じているに違いありません。

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相撲は神に捧げる神事です。それもちゃんと理解できている人に角界を担ってほしい。それは偽らざる本音であります。

よろしくお願いします。
コメント (2)
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