いせ九条の会

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国を愛することは当然とは/山崎孝

2006-11-07 | ご投稿
11月7日付け朝日新聞「岐路の教育基本法」は、教育基本法改定問題に対して賛否両論の意見を掲載 しています。教育問題で安倍首相の考えに近いといわれ、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」会長を務めたことがある古屋圭司・衆院議員は次のような意見を述べていました。(後半部分を抜粋)

《「愛国心」だが、自分たちの住んでいる国と地域、家族を愛することは当然であり、小さいころからそういう認識を持ってもらうため、基本法にうたうことはきわめて重要だ。統治機構を愛せよとか、国を批判してはいけない、ということではない。「いつか来た道に戻る」といった批判は的はずれもいいところだ。》

古屋圭司氏の意見「国と地域、家族」がどうしてひっくるめてひとくくりになるのでしょうか。この3つの言葉は概念が違っています。国は愛することはしなくても、地域(故郷)や家族を愛することは大いにあります。

故郷を国のダム建設で沈められた人、軍事基地を国に押し付けられ、更に基地機能を強化される人は、故郷は大切と思っても国を愛することは出来ないでしょう。石川啄木のように故郷を「石を持ておわるるごとく」のような人もいて、故郷に対しては複雑な思いを抱くこともあります。

家族愛の場合でも複雑な事情で、母は愛せても父を愛せない人もいるでしょう。様々な事情により家族愛も一様ではありません。

地域(故郷)や家族を愛することは「当然」のこととしてしまうと、内心の自由を抑圧することにつながります。

古屋圭司氏は、《統治機構を愛せよとか、国を批判してはいけない、ということではない。「いつか来た道に戻る」といった批判は的はずれもいいところだ。》と述べていますが、今までの愛国心が大好きな右派たちの”ものの言いよう”を見てみます。

小泉首相の靖国神社に反対をしたり、扶桑社の教科書を批判するマスメディア、朝日新聞や毎日新聞などを「反日マスコミ」と呼んでいます。

日本の教科書を自虐史観と考える学者たちなどは、扶桑社以外の教科書を「反日教科書」と呼んでいます。

日本人なのに政府の基本政策に同調しない人を「反日日本人」と規定します。

2001年の9・11大規模テロ事件の衝撃で起こった米国人の愛国心の坩堝は、ブッシュ政権の政策に完全に同調します。イラク戦争時の米国のマスメディアは、この愛国心の坩堝には抵抗できず、政府の言い分に疑問を呈せず報道しました。イラク戦争に反対する世界の声は大規模に起こりましたが、この時期の米国は世界の情報から隔絶した社会になっていたといえます。イラク戦争政策の失敗は、愛国心を醒めさせて逆に反政府運動である反戦運動が高まっています。愛国心とは国家の政策と同一歩調を取ることなのです。

これらを見れば、通常、愛国心は基本的には政府の政策に翼賛することを言います。

国を愛することが「当然」となった場合、当然でない人に昔のように「非国民」というレッテルを貼ることになるでしょう。このことは今でも、政府の基本政策に同調しない人を「反日日本人」と表現することと同じです。