好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

慈光尊 地蔵の由来

2006-09-13 23:50:37 | Weblog
昔、小関(現 燕市水道町)に腕利きの研ぎ師がいました、
腕がよいことでは有名でしたが気が進まぬと、仕事は
いくらあってもしません、すこし金が入ると打つ 呑む
喧嘩はする、いつもまづしい 暮しに 妻はとうとう逃げ出した、
その頃村に 盗人が入りこまっていた、
あの研ぎ師に決まっていると陰口していました、
酔っ払った 研ぎ師は俺が盗人だって何処に証拠があるんだと
大声でわめき大道せましと すれ違う人に喧嘩を吹きかけ
乱暴を むらのひとはこの時とばかり 柿ノ木に縛りちょうたく
(こらしめる、たたくなぐる) 
俺を殺したら村中のもんを祟り殺してやる、
虫に息で言いました 恐ろしくなり縄を解いてやりました
研師は何時の間にか村に居なくなりました、その後も
時々盗人が入るので村人は 研師にすまない事をしたと
心でわびていた、
数十年過ぎて 大曲の村道で行き倒れている人は
小関もんだとのこと 道中笠の裏に 越後の国 小関村之
住人 研師と書いてある 懐かしい村を目の前に老いた
研師は力尽き倒れたのだろう
村人は連れ帰り介抱したがまもなく死んだ
地蔵尊を一基建て 慈光尊地蔵命名 霊を懇ろに弔いました。


現在さ西福寺の裏のほうにあり(私の家から5~ 60m位の所に)
子供のときから 見てているが よく見る地蔵さまにもきっと逸話、由来が、

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