好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

天神講と良寛さま

2008-01-30 22:22:16 | Weblog
良寛さんが島崎の草庵へ移られた頃の話
近所に豆腐屋があり 良寛さんは豆腐が好きでよく買いに
行きました そこのお婆さんは必ず油揚げを 一枚まけてくれました
年の暮れの頃婆さんは 『良寛さまうちの孫共が 今年の天神講に
天神様を書いて頂いて 字が上手くなるように したのじゃが
書いては下さらぬか 頼みました、
良寛さんも 日頃世話になっているので むげにはことはれず
(わしは字がかけるが 画はかけぬが字でよかったら書いてやろう)
2,3日したら 、『南無自在在天神』と書いて渡しました
婆さんは無学の為字が読めないが ただただありがたく お礼を
言いました、
 
その話を聞いた床屋の親父がうちでも書いてもらうと 考えて
良寛さんが来るの待つていたら ある日和尚が床屋に行きますと
丁寧に迎えて 日頃と変わったもてなしに少し 途方にくれて
居りました、 そして半分ほど髪を剃り手を休め、良寛さん
先日豆腐屋の婆さんに 天神様を書いてやったそうですが
うちの孫にも一筆書いて もらいないだろうか、
次か次と書かされては 思い考えに耽っていると 床屋も返事を待つて
髪を剃りません、 仕方なしに2,3日待ってくれ言いました、
床屋は念を押しながら 半分の髪を剃りました、

いくら待つても 良寛さんは出て来ませんので 草庵に出掛けてゆき
ました やっと明日まで書いてくれることになり 翌朝行くと
 『南無自天神』と書いてあり 良寛さま何だか 読みにくうござんすね
これで好いですか、たずねると  『そうじゃ そうじゃ』(在) の字は
日頃豆腐屋の婆さんが まけてくれるので 婆さんの所に一字くれて
やったわい と言って けろりとしていました、
床屋も無理な お願いをしたものですから 受け取りました。

その後幕末の頃長岡藩は官軍との島崎街道で戦闘になり家々は
ことごとく焼かれ 豆腐屋も床屋も 草庵も無くなりました。

良寛逸話集より 良寛らしい楽しいお話でした、


 


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