一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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江戸琳派の「近代」

2005-06-06 09:50:23 | Essay
現在の琳派の評価は、一度西欧の美意識をくぐった上でのもののように思われる(ある種、西欧美術史的な視点から見ている)。だから、われわれが琳派を見るときも、その価値観を無意識の内に働かせている。つまりは、
「江戸時代の美術にしては、やけにモダンじゃあないか」
という見方である(浮世絵の評価もほぼ同じ)。

けれども、琳派の流れを見ていくと、酒井抱一に始まる江戸琳派こそが、直接、明治時代以降の日本画につながる近代性を持っていたと思える。特に鈴木其一(きいつ)の作品を見ると、その近代性がはっきりと見て取れる(下手をすると、明治以降の日本画の方が、近代性という面では後退している気味すらある)。

美術が時代とともに発展するものなのか、美術を様式の歴史として捉えていいものなのかどうか、という根本的な問題はひとまず置くとしよう。

江戸琳派の持つ近代性は、江戸時代を考えるためにも、重要な意味を持っているのではないか。美術だけを言っているのではない。技術にしろ、産業にしろ、教育にしろ、江戸時代に自立的な発展をしたものは、直接ではないにしろ、明治時代に西欧の文化を受け入れる上で大きな役割を果たした。江戸時代は近代化という面で、それだけのレベルに達していたのである。

「鎖国」(実際は幕府による情報の独占)は、二百数十年にわたる壮大な文化/文明的実験を行ったようなものだ。他からの情報が乏しい中で、文化/文明は自立的にどのように展開するのか、という実験を。