一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
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『米朝ばなし 上方落語地図』を読む。

2005-06-22 00:01:40 | Book Review
旧刊書のご紹介です。
今、奥付を見て、20年以上前の書物だということに気づき、びっくりしているところです。考えてみても、どこで何のために買ったのかも記憶がない。
念のために調べてみると、現在は講談社文庫(定価820円)で出てますね。これなら内容紹介する意味がある。絶版になってて古本市場でしか流通されていない本を紹介するほど、小生、意地は悪くない(「こんな本持ってないだろう」って、何か自慢しているようじゃあないですか)。

内容は、タイトルどおり(笑)。この手の本は、江戸落語では何冊もありますが、上方落語では珍しいんじゃあないかしら。やはり、米朝さんのような一種学究肌の人がいないと、こういう本は出ないものです(素人の場合だと、趣味人ね)。

落語に具体性を与えるためには、人物描写だけではなく、地名が必要だというのは時代小説の場合と同じですな。
野暮を承知で言いますと、
「文字其物が既に或意味に於て一種の技巧である。例へば墨田川と云ひ、忍ヶ岡と云ふ。人は此文字を見て、墨田川なり、忍ヶ岡なりの歴史や伝説を連想して、墨田川、忍ヶ岡をさながらに彷彿する。これ文字其物の有する技巧のお陰である」(泉鏡花『ロマンチックと自然主義』)
と指摘があるように古くからの地名には、さまざまなことを連想させる力がある。
「歌枕」などというのも、この力を利用して歌を詠むためのことばの一つでしょう。

ましてや、この本では、京・大坂という、江戸とは比較にならないほどの古くからの地名が多く残っている。
その舞台の上に、人物を登場させるだけで、もうお話は半分出来たようなものです。

一例を挙げれば、伏見中書島といえば「三十石船」。
船頭の船唄が聞こえてくれば、もう話は淀川の上……。
後は、船頭と土手の人や船客との会話をあしらえば、一丁上がり(まあ、実際は、それほど簡単なものではありませんが)。
「会話の合間合間に、船唄が入るという演出が、ここでは繰り返されます。そして、歌いジリに、ボーンとドラを打ち込む。宵から夜中、次第に夜が更けていく感じを、ドラの打ち方で打ち分ける」
よろしゅうおますなあ、とこっちまで関西弁になってくる。
この話、故三遊亭圓生がやっていましたが、今でも江戸落語界でやる人がいるんでしょうか。

同様に江戸落語に入ってきたものでは「初天神」なんてのがある。
これは本場の天満の天神サンでやると、味が違ってくるんでしょうな。
ちなみに、江戸落語では亀戸天神でやる演者が多い。けれども、小生などは、亀戸天神というと「名所江戸百景」にもあるように、藤の花というイメージが強いので、「初天神」には違和感というほどではないにしろ、ちょっと引っかかるところがあります。

ところで、天神サンには銅貨や銀貨をあげなければならないそうですなあ。
へへ、天神サンは紙幣(時平)がお嫌い。
お後がよろしいようで。

桂米朝
『米朝ばなし 上方落語地図』
毎日新聞社
昭和56年8月20日初版発行
定価:2000円