一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

クール・ビズよりクール・セレモを

2005-06-19 00:43:18 | Essay
今日、近所の方の告別式に行ってきました。
首都圏の本日の気温は26~27°C。湿度は70~80%はあったんじゃあないかしらん。
朝の内は曇りがちで、さほど暑くはなるまいと思っていたんですけれども、昼近くから日射しも出てきて、こんな気温になったわけです。

さて、小生は、自由業ですので、暑ければTシャツ一枚でも支障はない。まあ、誰に会うというわけではなし、もし会うとしても編集者には、そんなに礼儀作法に喧しい人は少ない。せいざい、こざっぱりとした身なりさえしていれば、特に問題は生じません。

ところが、冠婚葬祭ということになると、いまだにドレス・コードの縛りが結構あるんですね。まあ、最近はそれでもうるさくなくなってきたので、女性の中には、黒い喪服ではない人もいる。
男性の場合は、だいたいが黒いドスキンのスーツ(中にはご丁寧にダブルの人もいる!)に、黒のネクタイということになっている(こうなったのはいつ頃からでしょうか。昔は必ずしもそうじゃあなかった気がする)。

小生も、久しぶりにスーツ(ただし、喪服ではなく、濃紺で黒に限りなく近いスーツ)に黒のネクタイ。ただし、暑くなるといけないので、中は袖無しの下着に半袖のシャツ。
でも、暑い暑い。
斎場には冷房が入っているんでしょうが、近頃の風潮で弱めにしてある。

ここで、話がそれますが、全人類的に「火による清め」という観念がある。もちろん、ミソギのように「水による清め」というのもありますが、それは水が豊富な、例えばモンスーン地帯に限られている。
そんなことも、これだけ暑いと考えてしまう。「焼香」という儀式も、多少は「火による清め」という意識が働いているんじゃあないのかなあ。ああ、もちろん、煙が大切なんですけどね。つまり、煙による「天」と「地」との通路を造るという、儒教の仏教への影響ね(「香りによる清め」との説があるけれど、どうかしら。そういう意識は、文化人類学的にみて、あまり一般的じゃあない気がするんだけれど)。

閑話休題。
主題は、「クール・ビズ」より「クール・セレモ(ニイ)」でした。

「他人の似合わないノー・ネクタイ姿を我慢するより、趣味の悪いネクタイを我慢する方がましだ」と誰かが言っていました。
まあ、現在の葬儀では黒一色ですので、趣味がいいも悪いもないんですが(さすがに家紋入りのネクタイなんかしている人はいませんね)、社内で働いているなら、弱くとも冷房が効いているから、ネクタイをしていたってどうってことはないやね(営業で出歩く人、ご免)。
けれども、葬儀だとそういうわけにもいかない。
斎場だけで終わればいいけれど、人によっては、火葬場へ行ったり、墓地まで行かなくっちゃいけなくなる。そうなると、夏はつらいですぞ。

ここは一つ、夏の葬儀は、やはり涼しくいきたいもの、と「クール・セレモ」を、どなたか提唱しませんかねえ。

というようなことを思いながら、家へ帰ってきましたが、「清めの塩」というのを振りかけられました。
ああ、これは「水による清め」の代わりなんですね。
最後まで「クール・セレモ」と「清め」とにこだわって見た一日でありました。