一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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『この国のすがたと歴史』を読む。その1

2005-06-11 00:24:42 | Book Review
6月6日のgegengaさんのブログ「かめ?」で、ジェンダーフリー教育に関して、コメントを寄せた。
その中で、小生は、「家父長権力が発揮できることが、家族のあるべき姿なんだと信じている/信じたい」人が、ジェンダーフリー教育に対して批判的なのでは、と述べた。
実は、その際にちょっと頭にひっかかったことがあった。
というのは、この問題は「天皇制」にも関連してくるな、という直観めいたものである。
特に、現在「女性天皇」是か非かという論議もあり、家父長制とどのように関連してくるのか、小生には歴史的な知識が乏しいなと思い始めたところだったからだ。

ということで、今回は、その辺りの問題に限って本書に触れる(縄文文化やアイヌ文化の見直しなど、興味深いところも多々あるのだが、それはまたの機会に)。

まず、男性天皇が本来の姿であり、女性天皇はワンポイント・リリーフに過ぎないとする見解に対して(この辺、家父長制擁護の臭いがする)。

これは、近代天皇制(「皇室典範」)で創られた伝統に過ぎないだろう。
というと、反論があるのも十分承知している。
曰く、「即位の際の〈大嘗祭〉は、穀霊との共寝(簡単に言っちゃえば、穀霊とのsex) を本義としている。それが女性天皇に可能か?」
残念でした、誰が穀霊は女性だって決めてるの?
穀霊が男性である可能性だってあるのね(ジェンダーフリー?(笑))。

天皇のある意味での役割が、〈祭祀王〉だとすれば(明治時代の歴史学者久米邦武は「神道は祭天の古俗」と喝破した)、女性の方がふさわしいとも言える(歴史的存在としては祭祀王としての卑弥呼、神話的存在としてはアマテラス)。

本書では、網野氏が次のように述べている。
「中国大陸の律令の家父長制的な原理からははずれた女性の地位も、日本の律令は公式に承認しています。ですから女性は役人にはなれませんが、天皇には女性がなれるのです。」

大分、長くなった。
まあ、今回は前書き代わりということで、本書の詳しい内容に関しては次回に。

網野善彦・森浩一
『この国のすがたと歴史』
朝日選書776(朝日新聞社刊)
定価:本体1200円+税
ISBN402259876X