一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『昭和史発掘 4』を読む。その4

2005-06-30 00:47:40 | Book Review
●「陸軍士官学校事件」
事件そのものは、陸軍士官学校の生徒が、2・26事件で中心的な役割を果すことになる村中大尉、磯部一等主計、西田税などと結び、重臣や警視庁を襲撃する計画が発覚したというものである。

しかし、現在でもこの事件に関しては、士官学校本科生徒隊中隊長の辻政信のデッチ上げ、という説もあるくらいで、真相は未だに闇の中に隠されている。
その真相を探ろうというのが、松本が本書で行なった推理。

それでは「陸軍士官学校事件」とは、昭和史の中で、どのような位置づけになっているか。
松本の記述を借りれば、
「昭和十一年二月に起った二・二六事件を書くには、その前年八月の「相沢事件」を書かなければならない。「相沢事件」を書くには、その年七月真崎教育総監の罷免問題を書かねば分らない。真崎罷免には九年十一月の陸軍士官学校事件を書かねばならぬ。いずれも陸軍部内の派閥抗争の途上に生じた事件で、二・二六事件に至るまで互いが因となり果となって捩れ合っている。このうち、どれ一つ抜き取ることはできない」
となる。

基本的に背景にあったのは、陸軍軍事官僚内部の派閥抗争、主導権争いとしても過言ではあるまい。
ざっと見れば、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一と続いてきた長州閥と、反長州閥との争いが、統制派(「幕僚派」)と皇道派(「隊付将校派」)とを生みだした。両派とも反長州閥という面で、当初は入り交じっていたが、永田鉄山、東条英機、鈴木貞一、武藤章らが離れ、統制派的独自色を強めていく。
一方、皇道派的なグループは橋本欣五郎を中心に「桜会」を結成、「三月事件」「十月事件」(「錦旗革命事件」)のクーデター未遂事件を起こす。

これらの状況の中で起ったのが「陸軍士官学校事件」であるから、それを摘発することによって利益を受けた者が、影の首謀者として疑われるのは、当然のこと。
辻政信を摘発者/首謀者とする説では、東条英機(そのまた背後には永田鉄山がいる)により、士官学校より皇道派の気風を一掃するよう命じられて、との動機を説く。

松本の推理は、本書を読んでいただくこととして、この事件の結果、村中、磯部の両名は停職処分となったが、「粛軍に関する意見書」を陸軍のみならず各方面に流布したため、退役処分となり陸軍を追放される。
一連の「陰謀」の背後に、軍務局長永田鉄山ありと見た彼らは、永田を深く恨むことになり、「陸軍士官学校事件」は「相沢事件」(永田が相沢三郎中佐によって斬殺された事件)「二・二六事件」への伏線となったのである。

*昭和9(1934)年、陸軍士官学校の校舎として建設された「市ヶ谷1号館」(このバルコニーで、三島由紀夫が陸上自衛隊員への演説を行なった)。

この項、おわり。