一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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黄昏の中に佇む町へ

2005-06-05 00:08:43 | Essay
プラスティックでできた物は、時間の経過による質感の変化が少ないために、表面の傷や汚れがかえって目立つ。その一方、木や石や土などでできた食器や日用雑貨類は、時間が経つに従ってできた「ひび」や「しみ」でさえもが、物の色や形の一部であるように感じさせます。

このような原理は、物だけではなく、どうやら町にも働いているようですね。同じ人気の途絶えた寂れた町でさえも、プラスティック型の町もあれば、そうではない型の町もあるんです(東京周辺の町は、ほとんどがプラスティック型になってきている。こんな町が、人口構成の変化で寂れだしたら、どうなるんだろう)。

人によって好みがあるでしょうが、小生は、後者の型の町にいると、既視感を覚え、心が落ち着いてくる。もちろん、そこに住んでいる人にとっては、それどころではなく、現在の地盤沈下をいかにして食い止めるかに必死なんだと思います。けれども、だれもかれもが、東京ディズニーランドへ何度でも行きたいと思っているわけではないし、日光江戸村のような、あるいは京都太秦映画村のようなまがい物の過去を求めているわけでもない。

小生の経験によれば、心の落ち着くような町は北関東に多い。というのも、これらの町は、ほとんどがかつての成長産業――養蚕・製糸と密接に関わりがあったから。ある町は、周囲の農家で生産された繭の集散地であり、その繭を原料にした大規模な製糸工場があった。また、周囲の農村地帯に、農機具や化学肥料などを供給する基地でもあった。つまり、これらの町は、北関東養蚕地帯を背景にした、流通の拠点だったのです(駅の開業は、関東の中でもかなりい早い)。全てが過去形なのが、哀しいところでしょう。

それが、産業構造の変化に伴い、斜陽の時を迎えてから、もうかなりの年月が経っている。無責任な言い方をすれば、今が黄昏れた町としての賞味時期なのです。これから、ますます衰退するにしろ、発展するにしろ、町の表情ががらと変ること請け合いです。