1989年の旧刊書ですが、前回との関係で取り扱ってみました。
ただ、前回と違うのは、小生が名前しか知らない芸人や、名さえ知らない古い芸人がメインなことです。したがって、著者・色川武大の文章の芸を楽しむしかない。これを読んで、その芸を思い出すことが不可能だということです。
多少なりとも知っているのは、森川信(「寅さん」シリーズの初代おいちゃん)、佐分利信、ロッパ、森繁、タモリ、「ヒゲの伊之助」こと式守伊之助、徳川夢声、春風亭柳朝、「ブーちゃん」市村俊幸、渥美清、逗子とんぼ、エンタツ・アチャコ、笠置シヅ子、柳家金語楼、トニー谷、左卜全、「ターキー」水の江瀧子、有島一郎、エノケンといったところ。
また、全然知らないのは、大河内伝次郎(名前と顔は分かる)、小笠原章二郎(「馬鹿殿さま専門役者」とのこと。全然知らない)、高瀬実乗(「アノネのオッサン」というニックネームで一世を風靡した。エノケンの映画で見たことはある)、ピーター・ローレ(『カサブランカ』で知っている)、二村定一(浅草でエノケンとコンビを組んでいたそうな。名前のみ知っている)、高屋朗(まるで知らず)、岸井明(これもエノケンの映画で見ているのみ)、灰田勝彦(「クルーナー」。日本のビング・クロスビーといったところか)、団徳麿(悪役専門役者。天本英世みたいな役者か?)、杉狂児(名前のみ知っている)、並木路子(『リンゴの歌』ですな)。
こうして見ていくと、メディアの発達の影響は大きいですね。特に、ヴィデオで映画が出るようになってから、時代を越えて顔を知っていたりする。リアルタイムで見る映像と、ヴィデオで見る映像との差は、何もないのだから。面白いものは面白く、面白くないものは面白くない。そこに遠慮も斟酌もなく、思い込みもなく、現代という視点から判断されてしまう(逆に、歴史的なパースペクティヴが得られないという欠点もある)。
書評らしく書けば、
「小さいころの私の夢は、映画のフィルムが家にたくさんあって、好きなときに自分も見、他人に見せられたらいいなァ、ということだった。」
という著者の〈夢〉が実現されたわけである。
しかし、である。
「敗戦直後にアメリカ軍(GHQ)の検閲があり、各映画会社が既存のフィルムを提出した。(中略)今、市販されているヴィデオでも、このときの洗礼を受けているフィルムがたくさんあって、話がつながりにくくなっている。」
というのは、知っている向きも多いであろう。
その他に、
(新興や大都、帝キネ、東亜などの二流映画会社では)「時代物の映画は、映画館をひととおり廻ると、フィルムを一こまずつチョン切って、子供の玩具として駄菓子屋に売られてしまう」
という理由から、元フィルムが失われていることは、あまり知られていないかもしれない。
この他、ソ連軍の満洲侵攻の際に、満映にあった多くのフィルムがソ連に持っていかれ、それが時たま発掘されてきて話題になることもある。
さて、寒い国の映画好きの元首の手元には、本邦にはないフィルムがあったりするのだろうか?
色川武大
『なつかしい芸人たち』
新潮社
定価:本体1,300円+税
ISBN4103311045
ただ、前回と違うのは、小生が名前しか知らない芸人や、名さえ知らない古い芸人がメインなことです。したがって、著者・色川武大の文章の芸を楽しむしかない。これを読んで、その芸を思い出すことが不可能だということです。
多少なりとも知っているのは、森川信(「寅さん」シリーズの初代おいちゃん)、佐分利信、ロッパ、森繁、タモリ、「ヒゲの伊之助」こと式守伊之助、徳川夢声、春風亭柳朝、「ブーちゃん」市村俊幸、渥美清、逗子とんぼ、エンタツ・アチャコ、笠置シヅ子、柳家金語楼、トニー谷、左卜全、「ターキー」水の江瀧子、有島一郎、エノケンといったところ。
また、全然知らないのは、大河内伝次郎(名前と顔は分かる)、小笠原章二郎(「馬鹿殿さま専門役者」とのこと。全然知らない)、高瀬実乗(「アノネのオッサン」というニックネームで一世を風靡した。エノケンの映画で見たことはある)、ピーター・ローレ(『カサブランカ』で知っている)、二村定一(浅草でエノケンとコンビを組んでいたそうな。名前のみ知っている)、高屋朗(まるで知らず)、岸井明(これもエノケンの映画で見ているのみ)、灰田勝彦(「クルーナー」。日本のビング・クロスビーといったところか)、団徳麿(悪役専門役者。天本英世みたいな役者か?)、杉狂児(名前のみ知っている)、並木路子(『リンゴの歌』ですな)。
こうして見ていくと、メディアの発達の影響は大きいですね。特に、ヴィデオで映画が出るようになってから、時代を越えて顔を知っていたりする。リアルタイムで見る映像と、ヴィデオで見る映像との差は、何もないのだから。面白いものは面白く、面白くないものは面白くない。そこに遠慮も斟酌もなく、思い込みもなく、現代という視点から判断されてしまう(逆に、歴史的なパースペクティヴが得られないという欠点もある)。
書評らしく書けば、
「小さいころの私の夢は、映画のフィルムが家にたくさんあって、好きなときに自分も見、他人に見せられたらいいなァ、ということだった。」
という著者の〈夢〉が実現されたわけである。
しかし、である。
「敗戦直後にアメリカ軍(GHQ)の検閲があり、各映画会社が既存のフィルムを提出した。(中略)今、市販されているヴィデオでも、このときの洗礼を受けているフィルムがたくさんあって、話がつながりにくくなっている。」
というのは、知っている向きも多いであろう。
その他に、
(新興や大都、帝キネ、東亜などの二流映画会社では)「時代物の映画は、映画館をひととおり廻ると、フィルムを一こまずつチョン切って、子供の玩具として駄菓子屋に売られてしまう」
という理由から、元フィルムが失われていることは、あまり知られていないかもしれない。
この他、ソ連軍の満洲侵攻の際に、満映にあった多くのフィルムがソ連に持っていかれ、それが時たま発掘されてきて話題になることもある。
さて、寒い国の映画好きの元首の手元には、本邦にはないフィルムがあったりするのだろうか?
色川武大
『なつかしい芸人たち』
新潮社
定価:本体1,300円+税
ISBN4103311045