一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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『この国のすがたと歴史』を読む。その3

2005-06-13 05:54:03 | Book Review
この本の基本的姿勢を言えば、
「従来の歴史観の見直し」
ということになるだろう。
もっとも良い例が縄文文化のありようであり(「遅れた文化としての縄文」観の見直し。これに関しては本ブログ〈『日本考古学の通説を疑う』を読む。〉でも扱った)、もう一つがアイヌ文化や地域間交流のありようであろう。

従来の歴史が、「中央から地方へ」という観点から捉えられていたとすれば、これは地方文化の復権でもある。あるいは、軽視されてきた存在(例えば海民)の見直しでもある。
そして、軽視されてきた存在の見直しの一環として、女性の役割というものも入ってくるわけだ。

ここでは、ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』に述べられた記事をご紹介しよう。
それは、
「妻は夫に高利で金を貸す」
という一節である。
つまりは、女性の経済的自立が、従来思われていたよりも広く行なわれていた、ということ。
「動産・銭に関する権利は、女性が非常に強く持っています。ところが、銭や動産は日本では私的な世界のことになっています。さきほどの尼御前の場合(一風斎註・『信貴山縁起絵巻』に登場する尼さんの金貸しのこと)も同様で、田畠の公的な秩序から身を引いて、そこで自由に商業や金融をやるわけです。女性が古代から商業や金融にかかわっているのは、そういうこととも関係があるかもしれません。」
というのが、網野氏の見解。

もう一つ本書に述べられている例で言えば、
「『今昔物語集』に、二人の妻のいる郡司がいて、二人とも蚕を飼って養蚕をしていたのですが、本妻の蚕は全部死んでしまったので、本妻の家が貧しくなり、夫が寄りつかなくなったとあります。当たり前のような話にみえるけれど、女性は女性で独自に家計を行っており、蚕を飼って、自分で経営をしているのです。」

小見出しに「見えだした女性のすがた」とあるように、このような事実は、近年になってやっと分ってきたのだ。
おそらくは、江戸時代のしかも武家社会が、このような姿を見え難くした原因であろう。しかも、ある面で明治政府は、江戸時代を否定しながらも、都合のよい武家社会のありようは保存・強化してきた。

各人の中にも依然として存在する、このような呪縛を打ち破る端緒として、本書をお勧めしたい。