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『明治の音―西洋人が聴いた近代日本』を読む。その1

2005-06-07 07:14:31 | Book Review
本書はタイトルどおり、5人の西欧人が明治日本で聴いた音(町の音、自然の音、日本音楽のほかに、日本人の演奏する西欧音楽も含む)が、どのように受け止められたかを分析的に描く。

5人の西欧人とは、イザベラ・バード(1831 - 1904)、エドワード・モース(1831 - 1925)、ピエール・ロチ(1850 - 1923)、ラフカディオ・ハーン(1850 - 1904)、ポール・クロデール(1868 - 1955)。
書き残されたものからの分析であるから、文学者が多くなるが、イザベラ・バードのような英国人女性旅行家や、エドワード・モースのように「大森貝塚」の発見で有名な米国人動物学者もいる。また、ピエール・ロチは文学者であると同時にフランス海軍士官でもあり(軍人が本職か?)、ポール・クロデールも詩人かつ外交官である。

これらの人々が異文化の音と向き合ったとき、どのような反応を示したのか。

一番分り易い例が、第1章で取り扱われているイザベラ・バードの場合。
「彼女にとって、日本の音楽は神経を苛立たせる以外の何物でもなかった」し、「日本人の発する声に対して何か苛立ちを感じている場合が多い。」
これらの原因に大して、著者が指摘するのは、「母音」の問題。英語と比較して日本語は母音優位の言語である。
「バードは無意識のうちに、そこに自分の好悪さらに文明の優劣の問題を介入させている。バードの中に、音節を開いたままに保ち、そこにどうしても動物的なもの、何か下等で野蛮なものを感じさせてしまう母音よりも、音節を断固として閉ざしてしまう子音への優越感がどこか感じられる。」

これに対して、同じ第1章で登場するモースには、
「奇妙な音への言及は数多くあるが、それがそのまま文明の優劣へと結論づけられることは少ない。音を拒否するよりも、音にこだわるのである。」
しかし、多様な音を楽しみ、それを記録したモースであるが、
「日本の音、音楽それをそのまま受け入れることができなかった」。
その理由は「和声がないから」である。
日本人は「『音楽に対する耳』を持っていないらしい。彼らの音楽は最も粗雑なもののように思われる」
とモースは書き記す。
ここには、音楽における異文化理解の難しさが表れているようだ。

〈この項、つづく〉


内藤高
『明治の音―西洋人が聴いた近代日本』
中公新書1791
定価:本体780円+税
ISBN4121017919