事情により、以前、別の場所で発表した原稿を再掲載します。
ご了察を乞う。
最近の文庫には珍しく、巻末の解説「難民の世紀に」(佐藤健二)がきちんとした「解説」になっています。
どうも最近は「エッセイ」や「交友録」を文庫の巻末に付けるケースがほとんどで、いくら巻末からひもとく向きが多いにしても(小生もその一人)、本文を読むには何の役にも立たないことを、さびしく思っていた折ですから、ちょっと感動しました。
これなら「解説」を先に読み、テーマの全体像を得てからの方が、本文を理解しやすいでしょう。本文の内容や表現が難しいわけではない。けれども、民俗学のまったくの初心者だと、取っ付きにくい面があるからです。
話を元に戻しましょう。
著者の解決しようとした問題は、「サンカ」とはどのような人々か、ということ。
それだけ、「サンカ」についての我々の知見は貧しかったし、フィクションの影響を受けていたのです。
知見という面でいえば、学者・研究者の怠慢としか言いようがない。かの碩学・柳田国男(やなぎたくにお。1875~1962。明治~昭和期の民俗学者)にしろ喜田貞吉(きださだきち。1871~1939。明治・大正期の歴史学者)にしろ、自らの仮説に組み入れようとするあまり、間違った方向へ歩を進めていたのです。柳田は「山人」=「この列島の先住民族の生き残り」という仮説へ、喜田は「坂のもの」=「中世」の系譜という仮説へ。
フィクションは、前者より明らかに社会的な影響が大きい。
一番の元は、三角寛(みすみかん。1886~1958。昭和期の小説家)の一連の「山窩小説」。そして、1970年代後半から1980年代の、五木寛之の小説『戒厳令の夜』『風の王国』、中島貞男の映画『瀬降り物語』だと著者は指摘します。
以上のベールを剥いで、「サンカ」の歴史・民俗などを実証的に考察したものが本書です。どのような結果が現れるかは、実際に本書を読んでいただくこととしましょう。
ただ、これらの研究成果があるにもかかわらず、
「漂泊という言葉が招き寄せる、いわばこの国の『すき間』への夢」(四ノ原恒憲。11月27日付「朝日新聞」夕刊、コラム欄)
を「サンカ」に託すのは止めた方が良い。
「すき間」への夢は、誰かに託すものではなく、自ら生み出していく(お好きなら「戦い取る」と言うのも可)ものだから。
『幻の漂泊民サンカ』
沖浦和光
文春文庫
(本体657円+税)
ISBN:4167679264
ご了察を乞う。
最近の文庫には珍しく、巻末の解説「難民の世紀に」(佐藤健二)がきちんとした「解説」になっています。
どうも最近は「エッセイ」や「交友録」を文庫の巻末に付けるケースがほとんどで、いくら巻末からひもとく向きが多いにしても(小生もその一人)、本文を読むには何の役にも立たないことを、さびしく思っていた折ですから、ちょっと感動しました。
これなら「解説」を先に読み、テーマの全体像を得てからの方が、本文を理解しやすいでしょう。本文の内容や表現が難しいわけではない。けれども、民俗学のまったくの初心者だと、取っ付きにくい面があるからです。
話を元に戻しましょう。
著者の解決しようとした問題は、「サンカ」とはどのような人々か、ということ。
それだけ、「サンカ」についての我々の知見は貧しかったし、フィクションの影響を受けていたのです。
知見という面でいえば、学者・研究者の怠慢としか言いようがない。かの碩学・柳田国男(やなぎたくにお。1875~1962。明治~昭和期の民俗学者)にしろ喜田貞吉(きださだきち。1871~1939。明治・大正期の歴史学者)にしろ、自らの仮説に組み入れようとするあまり、間違った方向へ歩を進めていたのです。柳田は「山人」=「この列島の先住民族の生き残り」という仮説へ、喜田は「坂のもの」=「中世」の系譜という仮説へ。
フィクションは、前者より明らかに社会的な影響が大きい。
一番の元は、三角寛(みすみかん。1886~1958。昭和期の小説家)の一連の「山窩小説」。そして、1970年代後半から1980年代の、五木寛之の小説『戒厳令の夜』『風の王国』、中島貞男の映画『瀬降り物語』だと著者は指摘します。
以上のベールを剥いで、「サンカ」の歴史・民俗などを実証的に考察したものが本書です。どのような結果が現れるかは、実際に本書を読んでいただくこととしましょう。
ただ、これらの研究成果があるにもかかわらず、
「漂泊という言葉が招き寄せる、いわばこの国の『すき間』への夢」(四ノ原恒憲。11月27日付「朝日新聞」夕刊、コラム欄)
を「サンカ」に託すのは止めた方が良い。
「すき間」への夢は、誰かに託すものではなく、自ら生み出していく(お好きなら「戦い取る」と言うのも可)ものだから。
『幻の漂泊民サンカ』
沖浦和光
文春文庫
(本体657円+税)
ISBN:4167679264
全体的に推論が雑で、いささか説得力に欠ける、とい気がしました。
「到底考えられない」「有り得ない」「信じられない」などの記述が頻出しますが、要するに著者がそう思うというだけであって、史料的な根拠は必ずしも明確ではありません。資料の取り上げ方も恣意的であるように感じられました。
勘ぐってみれば、定住農耕生活を日本人の本来的なあり方だとする呪縛に、著者も陥っているのではないでしょうか。
さらに“非農業民=”という構図が言外に前提されているようですが、その点も如何なものかと思います。