一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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江戸のことば、東京のことば

2007-05-25 07:48:46 | Essay
江戸のことばというと、どうしてもぞんざいな職人ことばが扱われることが多いのですが、表店(おもてだな)の主人を初め、商人(あきんど)のことばとなると、かなり違ってきます。

その違いを端的に示しているのが、圓朝作『文七元結(ぶんしちもっとい』での、お店者の文七と左官の長兵衛とのことば。
 文七「私(わたくし)だッて死に度(たく)はございませんけれども、よんどころない訳でございますから、何(ど)うぞお構いなく往(い)らしって、もう宜(よろ)しゅうございます」
 長兵衛「お構いなくったって往(い)けねえやな、仕方がねえ、じゃア己(おれ)が此の金を遣ろう」

ちょっと引いただけで、これだけ違うのね。
まず、語彙からして違う(自分を指すのに「私」と「オレ」と違っていることなどが、その一例)。次に敬語表現があるかないか、などなど。
ここでの引用では、分かりにくいかもしれませんが、原文はこちらで読むことができます。

けれども、しゃべりにおいての歯切れの良さは変りはない。いくら文七だといっても、もっさりした話し方はしません。
この辺が、江戸ことばが、関西の人には「切り口上」でしゃべっているように聞こえる由縁なのでしょう。

江戸が東京と変っても、しゃべり方にさほどの違いはありません。
ですから、現代では少なくなりましたが、歯切れの良い東京弁を使う人もいることはいるのですよ。

小生が知っている限りでは、神田神保町のランチョンというビア・ホールの4代目のご主人。
「いらっしゃいまし」(「~ませ」ではない)
「ありがとう存じました」
これが東京下町の商人の、由緒正しいことば遣いであります。