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最近の拾い読みから(149) ―『天皇と東大―大日本帝国の生と死』

2007-05-24 01:25:53 | Book Review
日本近代史を「天皇」および「東大」という窓から観察したノンフィクション。

したがって、上下巻併せて1,400ページを超える分厚さがありますが、日本近代史の流れが、とりあえず頭に入っている人には、さほど苦労せずに読み通すことができるでしょう。

著者ご本人は、結構楽しんで書いているとみえて、読んでいてもそれが感じられます。
その楽しさというのは、おそらく新しい史料を目に通すことによる「発見」の喜びによるのでしょう。しかし、特に目新しい史料が「発掘」されているわけではありません。
それは、巻末の参考文献を見れば分る通りです。

普通、日本近代史のノンフィクションの場合には、「聞き書き」の対象者の名前が出ているものですが、ここにはそれがありません。おそらく、すべての史料は、刊行された書籍や雑誌を元にしているのでしょう。

実は、そこに問題点があるような気がします。
結論から言えば、本書の場合、著者は「啓蒙家」であっても、「思索家」ではありません。
となった原因は、やはり厖大な史料を読むことによる「発見」に目が奪われ、それを咀嚼して論理的な筋を作ることには、はっきり言って成功しているとはいえないからです。

タイトルは「天皇と東大」ですから、東大が持つ構造が、教師や学生に、天皇制を批判したり(数が少ない)、支持したり、どっちつかずの態度を採るようにさせていることを示さねばなりません。
つまりは、天皇制と東大という大学制度が、絡み合って、このような近代をつくってきた原因を追及しなければならないわけです。

ところが、本書では、その原因を個人の問題や、時代の風潮に還元してしまっている気味が強い。
例えば、矢内原忠男が一環して天皇主義、国家主義を批判している態度を採ってきたことを、彼のクリスチャンとしての経歴に還元してしまっています。
また、矢内原とは逆に、天皇崇拝者である歴史学者の平泉澄(きよし)の場合にも、
「平泉が神官だったことがわかると、彼がなぜあれほどの天皇崇拝者だったかがわかる。」
と書かれているだけで、なぜ「東大」なのか、大多数の人には日本最高のインテリゲンチアの集まりであると思われた「最高学府」に、このような人間が教授として留まり得たか、については、ほとんど触れられていません(一つのポイントとして指摘されているのは、『大学令』の「国家二須要ナル学問ノ理論及応用」という規定。これを軸にして記述すれば、また見えてくるものが違ったはず)。

小生が、本書に期待していたのは、戦前における教育制度の問題点と、天皇制との関係だったのですが、それには裏切られた気がします。
もっとも、エピソードは盛りだくさんですから、近代史の読み物としては、それなりに楽しむことはできるでしょうが。

立花隆
『天皇と東大―大日本帝国の生と死』(上)(下)
文藝春秋
定価:2,800/2,800 円 (税込)
ISBN978-4163674407/978-4163674506