一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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文化に進歩はあるのか? その一

2007-05-01 08:03:36 | Essay
問題は、時代を通じた指標があるかどうかということです。

経済的な発展の場合だと、生産効率性や時間距離などの数値で計ることが可能です。
単位面積当りの穀物の収穫量などは、分りやすい例。
これは間違いなく、江戸時代を通じて、時代とともに右肩上がりの上昇傾向を示しています。
また、時間距離に関しても、海上交通の場合なら帆船から機帆船、汽船と短くなり、陸上交通でも徒歩から馬車、鉄道と明らかに短くなっています。

以上のような数値的指標が、飛躍的に上昇した時点を「産業革命」と呼び、経済的進歩の画期としているわけです。

これに対して、文化の場合はどうでしょうか。

例えば、音楽を例に挙げてみましょう。
バロック音楽は古典派より劣った様式なのか。
確かに、その間にはソナタ形式の登場などがありますが、それを進歩の指標とすることはできますまい。
同様に十二音技法を用いた音楽は、後期ロマン派の音楽より優れているのか(シェーンベルクは、そう思っていたけれども)?

私たちは、彼ら十二音技法の作曲家たち、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの音楽の方が、バッハやモーツァルトより優れているといって、好んで聴くわけではありません。
もちろん、メディアや主とした音楽聴衆層の変化などはありますが、それは音楽自身の問題ではなく、それを取囲む社会変動の問題として捉えた方がいいでしょう。

ことほどさように、文化の場合、「進歩」を示す「指標」がないのは明らかです。
しかも、「指標」の前提となる「価値観」自体が、時代時代によって変わってきていることも見過ごすわけにはいきません。

となると、結論的に言えば、文化に「進歩」という考え方はそぐわない、ということになります。
時代時代に異なった文化が存在し、そこにはどちらが優れているという「指標」もなければ、したがって、時代による「進歩」もない、ということです。
これは、一種の「文化相対論」とも言えるでしょう(同様に、異文化間にも、優劣はなく、「進歩」という考え方もありえない)。
つづく