一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「文化ナショナリズム」と「攘夷論」 その1

2007-05-08 08:20:26 | Essay
にもかかわらず、「攘夷論」が高まりを見せたのはなぜか、というのが、今回のお話。

孝明天皇的なゼノフォビアは別にしましょう。
また、討幕的攘夷論(リアル・ポリティクスの一環としての攘夷論)をも、脇へ置いておきます。
ここでは、対外的危機感とはかかわりなく、江戸時代半ばごろから「文化ナショナリズム」がその萌芽を見せ始めたことに注目したいと思います。

ここで「文化ナショナリズム」とは何か、ということになりますが、取りあえずは、『日本の文化ナショナリズム』の著者(鈴木貞美)の定義を借りておきましょう。
すなわち、
「ナショナリズムの、政治や経済の側面ではなく、その文化面をさすことばだ。そして、その文化が、実はナショナリズムの本体だった。『民族文化』や『国民文化』という観念に代表されるものが、その正体なのだ。」
ですから、本来なら国民国家の成立以後でなければ使用できないことになりますが、ここでは、その前段階としての「文化ナショナリズム」の萌芽について触れます。

まずは、国学から。

国学の基本コンセプトは、現在の認識体系や表現体系から、外国(主として中国)に由来するものを剥ぎ取っていったときに、何が残るか、ということにあります(つまり、それが日本本来の「文化」とする)。
つまりは、
「からごころを清く離れて、古のまことの意をたずねる」(賀茂真淵)
というわけなのね。

このコンセプトは、賀茂真淵→本居宣長→平田篤胤へと受け継がれ、朱子学批判から始まり、天皇制的国体論へとシフトしていくのですが……。
「そもそも此道は天照大神の道にして天下しろしめす道」(本居宣長)
「天皇尊の大御心を心とせずして、己々さかしらごころを心とするは、漢意の移れるなり」(平田篤胤)

国学が、文化思想としてではなく、政治思想としての翼を持ったところから、攘夷思想と結びつきを強めていき、明治維新のバックボーンの一つとなりますが、それは一先ず置いておいて、まず、そのような基本コンセプトが、鎖国体制下に生まれてきた原因を考えてみましょう。
つづく