一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

陽明学について考える。

2007-05-18 01:41:30 | Essay
先日、小島毅『靖国史観-幕末維新という深淵』を読みましたので、同著者の前著である『近代日本の陽明学』に目を通してみました。

けれども、この本を評するのは、とてもじゃないけれども、小生の力ではとても無理だ、ということが分りました。
内容は、カバー裏の惹句を引用すれば、
「善意が起こす『革命』はタチが悪い!
我々が創出した『近代』の問題の本質は、陽明学と水戸学の系譜が交差するとき明らかになる。陽明学の新たな解釈史にして、日本近代思想史の驚くべきよ見直し。」
ということになるのですが、小生なりに言い換えれば、「中斎大塩平八郎から三島由紀夫まで」の近代革命思想史ということになるでしょうか。ただし、ここでは限定がありまして、「革命」と呼ばれるものに、〈第三インターナショナル―講座派的〉なものは含まれない、ということです。

それでは、紹介にもなりませんので、本書に登場する主な人物の名前だけを挙げておくと(巻末の「主要登場人物略伝」による。したがって、すべてが陽明学者というわけではありませんが、多少なりとも陽明学にシンパシーを抱いていた人物ではあります)、
松平定信、青山延于(のぶゆき)、頼山陽、大塩中斎、山田方谷、藤田東湖、河井継之助、吉田松陰、渋沢栄一、三島中洲(ちゅうしゅう)、井上哲次郎、浮田和民、三宅雪嶺(せつれい)、内村鑑三、新渡戸稲造、山川均、高畠素之(たかばたけ・もとゆき)、大川周明、山川菊栄、安岡正篤、三島由紀夫
という、結構、錚々たるメンバーです。
ただ、何となく主流から外れている人物が多いことは、お分かりになると思います。
その辺が、朱子学的な存在とは、ちょっと違った点なのね。

本書によれば、
「陽明学には党派意識があまりない。学閥を作らない。自分の門人たち以外とは群れない。」
といった特徴があるといいます。
それは、内面的にいえば、
「中国でも日本でも(少数だが朝鮮でも)、高名な陽明学者は朱子学の学習によって陽明学者になる。教祖・王守仁(陽明)にしてからがそうである。彼は熱心に朱子学を学び、その精神を実践しようとし、挫折し、悩み、そして悟った。『理を心の外に探し求める朱子学のやり方は根本的に間違っている。理とはわが心のはたらきにほかならないのだ』と。(中略)この悟りによって、陽明学的心性を持つ後世の者たちも、晴れて陽明学者になることができるようになった。」
というわけだからです。

もう一つ、著者が指摘する、近代陽明学の類型としては、「白い陽明学」と「赤い陽明学」とがあるということです。
「白い陽明学」とは、
「既成教説に追随するだけの保守主義とは別の、『自分の頭で考えた末の国体護持主義』」
「赤い陽明学」とは、
「幕末以来の伝統をある意味で正しくうけついで、革命の理想に燃える」
となるでしょう。

以上が、本書の小生なりに読み取ったポイントですが、これ以外にも、重要な指摘が述べられているはずです。

そこで、陽明学とは対照的な、「党派意識を強くもち、学閥を作り、自分の門人たち以外とも群れたがる」朱子学的な伝統を引き継いだ者たちが描かれている、立花隆『天皇と東大―大日本帝国の生と死』を読み始めました。

また、機会がありましたら、再度、御紹介をしたいと思います。

小島毅
『近代日本の陽明学』
講談社選書メチエ
定価:1,575 円 (税込)
ISBN978-4062583695