一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「文化ナショナリズム」と「攘夷論」 その2

2007-05-09 00:39:11 | Essay
これ「原理主義」に極めて近いように思えます。
しかし、日本の宗教がアブラハム系宗教と異なるように、アブラハム系原理主義とは違う点もまた多いのが特徴でしょう。

まずは相似点から。
「おのがいふおもむきは、ことごとく古事記書紀にしるされたる、古(いにしえ)の伝説(つたえごと)のまま也」
つまりは『古事記』『日本書紀』が神典であり、それを漢心(からごころ)で解釈するのは誤りとし、宣長の主張(=「おのがいうおもむき」)は神典のままであるゆえに正しい、とします。

これは「原理主義プロジェクト」(="The Fundamentalism Project",「シカゴ大学〈原理主義〉研究プロジェクト」。「シカゴ大プロジェクト」とも)でいう「原理主義のイデオロギー的特徴」の一つ「聖典の無謬性の主張」に当たるわけです。

しかし、他の特徴についてはどうでしょうか。
ちなみに、上記「原理主義プロジェクト」によれば、
「近代化による宗教危機に対する反応」(反世俗ナショナリズム)
「選択的な教義の構築」
「善悪二元論的な世界観」
「終末観的世界認識と救世思想」
の4つが、他の「原理主義のイデオロギー的特徴」となっています。

そう考えてみると、宣長の国学には、これらの特徴は欠けていることが分ります。
ただし、平田篤胤の場合には、キリスト教の影響なども見られ、アブラハム系原理主義に極めて近い点もあると思われます。
ですから、幕末の「尊王攘夷論」を見る場合には、この平田篤胤的国学の影響を考慮に入れる必要が多々あるでしょう。

*以下は雑談ですので、本論とは関係がありません。
小生の先祖の一人に、平田系国学者がいるようです。その関係か、今住んでいる地域には「◯◯神主」(◯◯には苗字が入る)ということばが残っています。つまり、地域の神主には◯◯氏が多い、ということですね。