文化/文明における「進歩」という考え方は、さほど古いものではありません。
いわゆる「社会進化論」という19世紀的に生まれたものが、その端緒でしょう。
「社会進化論」では、人類の社会は、普遍的に、野蛮から未開、そして文明へと「進化」していく、と捉えられていました。そして、それは社会の進化だけではなく、文化の進化とも受けとられていたのね。
ですから、アジアやアフリカは未だに未開段階や、文明段階でも劣った状態にあり、文明段階のかなり先を進んでいる西洋諸国による、啓蒙や支配の対象になるとされ、
したがって、文化についても同様で、アジアやアフリカの文化は、欧米のそれとは完全に異質で劣ったもので、興味があるとすれば、それは「エキゾティシズム」(異質性・奇矯性・官能性に対する「まなざし」)という形態をとったのです。
ここには、文化/文明は、欧米のそれを規範として、一直線的な「進歩」しかないという、傲慢な考え方があったわけです。
明治になって、日本は、その「社会進化論」を受入れたわけですが、それは日本の歴史に適合していたのでしょうか。
いわゆる「社会進化論」という19世紀的に生まれたものが、その端緒でしょう。
「社会進化論」では、人類の社会は、普遍的に、野蛮から未開、そして文明へと「進化」していく、と捉えられていました。そして、それは社会の進化だけではなく、文化の進化とも受けとられていたのね。
ですから、アジアやアフリカは未だに未開段階や、文明段階でも劣った状態にあり、文明段階のかなり先を進んでいる西洋諸国による、啓蒙や支配の対象になるとされ、
「『我々』である西方ヨーロッパは合理的、平和的、自由主義的、論理的であり、『彼ら』である東方オリエントはすべてその正反対とされ」(本橋哲也『ポストコロニアリズム』)たわけです。
したがって、文化についても同様で、アジアやアフリカの文化は、欧米のそれとは完全に異質で劣ったもので、興味があるとすれば、それは「エキゾティシズム」(異質性・奇矯性・官能性に対する「まなざし」)という形態をとったのです。
ここには、文化/文明は、欧米のそれを規範として、一直線的な「進歩」しかないという、傲慢な考え方があったわけです。
明治になって、日本は、その「社会進化論」を受入れたわけですが、それは日本の歴史に適合していたのでしょうか。
つづく