一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「命名」あれこれ

2007-05-23 04:24:51 | Essay
「固有名詞というものは、奇妙で興味深い位置を占めている。ファーストネームというのはたいがい、何らかの意図をこめてつけられる。両親は何がしかの楽しい、あるいは希望的な連想をこめて、我々に名前をつける(我々がその名にふさわしく育つか否かはまた別問題だが)、一方名字の方は、かつてはその人について何かを伝えるものであったかもしれないが、今日では恣意的なものと見なされるのが普通である。お隣のシェパード氏が羊を世話しているとは我々は思わないし、頭のなかで彼を羊飼いと結びつけて考えたりもしない。しかし、もし彼が小説の登場人物であれば、そいうした牧歌的、もしくは聖書的な連想が当然生じてくる。(中略)
小説においては、名前が無色透明であることは決してない。名はつねに何かを意味する(たとえそれが『平凡』という意味であっても)。(中略)登場人物の命名は、つねに人間創造の重要な要素であり、熟慮と躊躇を伴う営みである。」(デイヴィッド・ロッジ著、柴田元幸・斎藤兆史訳『小説の技巧』、「8 名前 Names」)

何で、以上の引用をしたかといえば、命名に関しては別にして、実在の人物についても、この「連想」というものが働く例を目にしたからです。

それは、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci) です。
西洋人にとって、この名前は、Leo すなわちライオンを連想させるようです。
それに da Vinci が付いている。単に「ヴィンチ村の」という意味なのですが、 Victory, Victoire など「勝利」を意味する語を連想するみたいなのね。

ということで、「ライオン」+「勝利」となって、強そうな名前になるようですね(日本の「勝利(かつとし)」さんは、「強そう」というイメージはあまりなくなっているけど……)。

またまた、連想ですが、日本の場合、事件があるときに、それに因んで命名するということもありますね。それによって、年齢がある程度分ったりする。
「満州男(ますお)」サンなんていうのは、「満州事変」の年(1931)か、「満州国」建国の年(1932)の生まれだったりする(ひょっとする、満州で生まれたのかもしれないけれど)。名前を聞いただけで、戦前生まれだということが判断できてしまう。

また、その時々の流行なんてものある。

ですから、小説での登場人物の場合も、レアリズム系の場合、時代色から外れた命名はできません。もし、突拍子もない命名をする場合だと、それなりの理由の説明が必要になる(たとえば、江戸時代でも一字名前はありましたけれど、それはそういう家の伝統がある。有名なところだと、大名の平戸松浦家や、融(とおる)流嵯峨源氏など、かなり例外的)。

これで小説の命名には、なかなか考慮しなければならないことがあって、まさしく「熟慮と躊躇を伴う営み」なのであります(こちらもご覧ください)。