一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「文化ナショナリズム」と「攘夷論」 その4

2007-05-15 01:53:55 | Essay
さて、今まで別個に扱っていた国学と後期水戸学ですが、その影響(国学→後期水戸学)の度合は、思っていたより大きいようです。
「宣長の思想が、具体的にいつどのように水戸学のなかに浸透してきたか、まだ解明の途上にあると言わなければならないが、会沢正志斎の『新論』が説いている祭政一致の国体論に、宣長の『古事記伝』の影を見ることは、決して的外れではなかろう。」(小島毅『靖国史観-幕末維新という深淵』)

さて、一方、国学サイドでも政治性を深め、平田派国学が登場。宣長流の文化論から政治論に移行してきます。
「篤胤は単に『漢意(からごころ)』を外国のものとして排斥するにとどまらず、日本こそが世界に冠たるべき文化・文明を備えていると説き、西洋はもとより中国や朝鮮をも下に見る自己中心的な主張を展開したのだった。」(小島、前掲書)

その根拠とされるのは、我が国の「国体」(国家の統治体制、すなわち天皇を頂点に戴く国家体制)が、天孫降臨以来連綿と続いてきたとするフィクションなわけです。
小島の指摘によれば、正志斎には、(1)忠孝一本、(2)祭政一致、(3)天人合一、が「国体」概念の基本(「祖宗が建国の基礎とされてところの根本」)として捉えられていた。
そして、この「国体」を守るために「正しい戦争」(聖戦)が行なわれる。
「神の意を奉じる天皇の軍隊すなわち官軍・皇軍は、まつろわぬ敵を賊と決めつけて懲罰を加えていく。正志斎の本意は国土の防衛=攘夷だったかもしれないが、国内を統一するための戦争が天皇の名でおこなわれ、西洋勢力を東洋から駆逐するという名目の戦争がやはり天皇の名でおこなわれた。
政治学的には日本の近代ナショナリズムの成立過程と膨張逸脱として語られるこれらの事件は、より広い視野で見直すならば『国体』を至上価値とする心性が正当化した『聖戦』であった。」(小島、前掲書)

ここに「対外危機意識→攘夷→明治維新→明治体制(明治コンスティテューション)」と繋ぐものが、姿を見せてきたわけです。
ですから、1945年の敗戦時に「国体護持」と唱えらていた人々は、あまりにも近代政治学的な概念に捕われ過ぎており(現在も「国体」すなわち明治憲法体制とする人も多い)、その基本になる宗教的意味を捨象してしまっていたとも言えるでしょう。

小島の指摘によれば、今日の「靖国問題」の
「本質を見失わないためには、『哲学』だけではなく、『歴史』への目が必要なのである。」(小島、前掲書)
ということになるわけです。