女を捨てず・女に甘えず・らしさを活かす

女性スタッフがビジネス社会で実際に体験したことを中心に「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」をありのままお伝えします。

父の夢を見た・・・

2010-10-09 | インポート

 久しぶりに父の夢を見た。笑顔だった。

朝コーヒーを飲みながら「父」にまつわるいろんなことを思い出した。                                                                  

 私は電話が苦手。苦手というより嫌い・・・。いやっ、「恐い」のだ。随分マシにはなったが、今でも正直あまり電話は好きではない。

 電話を「恐い」と感じるようになったある体験。

父は末期の肺がんで私が大学2回生の時この世を去っている。病院嫌いの父は、病院で過ごすことを嫌がり、癌が発覚し緊急手術をした際の数週間以外は自宅に戻り、通院治療をしていた。

 末期がんが発覚してから8年。ウソのように止まっていた進行が、亡くなる半年ほど前から急激に早まりみるみるうちに容態が悪化していった。

入院することを勧める主治医に首をたてに振らなかった父。

母は主治医から、

「(心臓が破裂して)大量の吐血をするか、息ができなくなって発作をおこすか・・・。いずれにしてもそうなったら最期だと覚悟をして下さい」と言われていた。

 京都で下宿をしていた私は実家に帰る事も考えたが、「その時」がいつになるかわからないということ。そして何よりもそうすることを父が嫌がった。

 私はいつか来る「その時」を怯えながら京都で学生生活を送り、季節は冬から春に変わった。

 そして、4月のある日曜日。

その日は、当時所属していたクラブの試合の日だった。試合を終えて、近くのパン屋で野菜サンドとコーヒー牛乳を買って自分の部屋の前にたどり着いた瞬間。

 部屋の中から、けたたましい電話音が鳴り響いた。その音はいつものそれとは明らかに違い、私が恐れていた「ある出来事」が起きたことを知らせていた。

 電話をとる前から、その内容は充分すぎるぐらいに理解できた。電話を取るのが恐かった。取りたくないと思った。

長い長い葛藤の時間があったように思うが、実際にはすぐに鍵を開け、部屋に入り電話に出た(のだと思う)。

 電話口にはコトを知らせる母の声。

私は、すぐに部屋を出て父が救急車で運ばれた三重大学付属病院に向かった。その後部屋に戻った時、部屋の入口に野菜サンドとコーヒー牛乳の入った袋が放置されていたので、よほど急いで部屋を出たのだろう。ということは想像がついた。しかしながら、その瞬間から京都駅で電車に乗るまでの記憶はない。

  行楽日和の日曜日の夕方。私が乗り込んだ近鉄特急は、行楽客でいっぱい。家族の笑顔や楽しそうな話声が車内をつつんでいた。当然満席。

 私はデッキにしゃがみこんで、「ひと目でいいから息をしている父に会いたい。会わせてくれ!!」と祈りながら見慣れたはずの風景をぼんやり眺めていた。長い長~い時間だった。

 この体験以降、私は電話の音を聞くと、びくっとするようになった。

   それは、受信音のバリエーションが増えるようになった今も変わらない。

(次回に続く・・・)