神様助けて

会社を良くしていこうと必死で経営している一人のクリスチャン、神を信じる者がどんな風に祝福され、恵まれて行くのか。

母の涙

2008-02-23 19:57:46 | 零細企業の社長奮戦記
●母の苦しみ

 その日は、夜中じゅう親戚の人や何やらが家にきたり、病院に行ったりで大騒ぎでしたが、中学生だったわたしは、「心配ないから早く寝ろ、明日は普段どおり学校へ行け」というように、何の役にも立たなければ、病院にも連れて行ってもらえませんでした。

 翌日、学校へ行くと担任の先生が朝礼で、下宿先の近くで交通事故があり、一人がなくなってもうひとりが重症を負ったことを話していました。
どうも、その重症を負ったもう一人がわたしの父親だということは知らないようでした。

担任の先生は、事故直後その現場を見たらしいのです。


放課後、担任の先生に、今朝話していた事故の負傷者はわたしの父親であり、当分部活も休みたいと申し出ると、目を丸くしてビックリしていました。



 幸い命に別状がなかった父親の交通事故でしたが、母の苦労は大変なものでした。
そのころ、長女は都内に住み込みで働いていました。

次男も中学を卒業して都内に住み込みで就職していました。

長男は、農家をついでいく予定だったので全寮制の農業専門学校にいっていました。

家は、わたしと母との二人暮らしだったのです。


それでも、長女がしばらく休みをとって看病したり、親戚の人が応援したりしていただき、農作業も継続され生活は維持されていました。

わたしはというと、病院にいってもただいるだけで役に立たず、家の家事も出来ず、農作業も対してできずなんの役に立つことも出来ませんでした。

ただ、日曜日は病院にいって父のそばにいるだけでしたが、とてもうれしかったのを覚えています。
病室の窓を開けると、そこは競走馬がのんびりと草を食んでいるのが見えました。

その様子だけ目に残っています。


しばらくして、農作業や看病やらも親戚の応援もなくなり母の両肩に重くのしかかってきました。

そんなある日暗くなってから、数人の大人がたずねてきて玄関先で母となにやら話しています。
どうも話しが気になるのでそばにいって見ますと、その頃この地域ではやり始めた新興宗教の人たちが勧誘に来ていたのです。

不幸にして、オートバイを運転していて亡くなった方の家も、その団体に入っていたようです。

母は、暗くなるまで病院と畑を往復し、夜になって腹を空かしているわたしと自分のための夕食づくりをしている時間でした。

かなりしつこく勧誘してくるのです。

ついに母は泣きながら、「何でそれを信じている人が死んでうちの父ちゃんは助かったのか。」という辛い質問を投げかけたのです。

何故辛いかといいますと、亡くなった家族の方に父は助かったので多少の負い目があったのだと思います。

その答えは、「運が悪かった」というものでした。


わたしは、聞いていてあきれてしまいました。

これを信じればこんな不幸なことはおきない。と勧誘しながら、信じていた者が死んで、信じていない者が助かったのですから、なんなんだそれは。ということですね。


母は気を張り詰めて頑張っていたのです。

伝道活動をする人達のターゲットではありません。

そんな母を守ることも出来ない自分の歯がゆさが心を駆け巡っていました。


◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く罪深いわたしですが、どうかお許しくださいますように。

主の御助けは力強くわたしを支え引き上げてくださいます。

困難な中にあって、驚くべき引き合わせで恵みを賜り、しもべの苦悩を和らげて下さいます。
それはまさに、神の力ずくでの救いに似た勢いを見せています。

主は、わたしの手が短いから、わたしに救いを求めないのか、とイスラエルの民を譴責しましたが、まさに、神の手は短くも細くもなく、勢いをもってしもべの必要を備えてくださいました。

しもべのいえることはただひとつ、感謝します。としか出てきません。

本当に心から感謝申し上げます。

どうか主よ、本当に愚かで弱く罪深く、智恵も力もなく、ただ主に助けを求めるしもべを顧みてください。

ただ主に助けを祈り求めます。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン

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