神様助けて

会社を良くしていこうと必死で経営している一人のクリスチャン、神を信じる者がどんな風に祝福され、恵まれて行くのか。

目標の修正

2005-08-15 12:08:06 | 零細企業の社長奮戦記
●目的に照らして
 さて、趣味と仕事という言葉から皆様は何を連想されますか?

趣味からは、面白い、やりたいこと、好きなこと、何度でも飽きない、楽しい、疲れない、許されるなら幾らでもお金を使いたい、高くてもほしい、人の評価が気にならないetc・・・・でしょうか。

仕事からは、面白い、面白くない、楽しい、辛い、頑張る、頑張れない、疲れる、時間の経過が早い、時間の経過が遅い、中身と報酬との兼ね合いが気になる、報酬よりもやりがいが気になる、人の評価が気になる、好きだ、好きになれない、使命感を感じる、できればしたくないetc・・・・でしょうか。

どうでしょうか、このような傾向をもっていることは共感できるでしょうか。

これを、見てどう感じるでしょうか?

私が気づいたことは、趣味に否定形の表現が殆ど存在しないことです。
仕事には、肯定する表現と否定する表現が存在しています。

この違いは何処から来るのでしょうか?

一番大きな違いは、責任感や義務感というものに由来しているように思います。
趣味に責任を持つ必要は殆ど無いですよね。

殆どないという表現は、こういうことです。たとえば、友達を誘ってドライブする時、自分が運転するのであれば、交通事故を起こして友達を怪我させてしまうことの無いように、安全運転をする責任と義務が生じています。

また、登山などであれば、登山計画を作り届け出をおこない、安全に配慮する義務があります。ヨットやプレジャーボートでの出航も同じです。

これらは確かに責任と義務を伴っていますが、苦痛になるというものではないはずです。なぜなら、趣味である登山をより楽しいものとする為に必要な事柄であることを充分に認識しているからです。

では、仕事も同じようにより楽しいものとする為に、必要な事柄として多少の面倒なことをする。というこころ構えができないものでしょうか。

確実にできる方法があります。

それは、自分の目的と仕事の目的とが一致することです。個人的な目的が仕事の目的の中に見出されるという表現が適切でしょうか。

これをできれば、仕事が趣味になる可能性があります。

仕事が楽しくなるのですね。

しかし、仕事には目標設定が求められます。
それは、稼がなくては仕事では無くなってしまうからです。

これが、仕事と趣味との歴然とした違いなのですね。

目標を修正するとき、目的を再度確認する必要と目標の持つ意味合いをしっかりと認識しなければなりません。

仕事の目標設定の修正であれば、稼ぐという認識の上に立って目標の修正を行う必要があるということです。

●今日の祈り

全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
あなたの愛は、惜しみなくこの地上に注がれています。
あなたの慈しみは、永久の命を約束しています。

主の御前にあって愚かで弱く、罪深い私をお許し下さい。
信仰が弱いのです。

願わくは、この愚かな者の信仰を強めてください。
全てを主に委ね、全てを主により頼み、すべて主に従うことができますように。

この小さきしもべの信仰を増し加えてください。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエスキリストの御名を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン。


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2 コメント

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お久しぶりです (te-ke-te-ke)
2005-08-15 17:10:06
夏期休暇を終え今日から出勤しております。

[自分の目的と仕事の目的とが一致]するならば仕事が楽しくて仕方がないでしょうね。私は社内ベンチャーでやりたいことを仕事化していますから結構楽しく過ごしています。しかしそうでない人のほうが圧倒的に多いでしょうね。与えられた仕事が今主より示されたものとして受け止める事が出来たら幸いですが。
わがまま (インマヌエル)
2005-08-16 09:36:28
 お仕事ご苦労様です。

どんな仕事も、祝福されていると信じていますが、私のようにわがままな人も少ないでしょうね。



わがままを貫いていると、結構わがままで無い自分を発見したりもするのですが、信仰のおかげで、柔軟な発想を持てるようになったことを感謝しています。



今、具体的にどうするかという段階で、躓いている自分を発見しています。



いずれ、道は開けてくると確信しています。

テケテケさんの上に主の恵みがありますように。

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