「西郷どん」が始まって、久しぶりに日本史への血が騒ぎ始めた
「天地創造」の如く、まだ形の無かった大海原に一滴のしずくが天からポタリ!
神は神の国より長い櫂でしずくが落ちた大海原をかき混ぜると、有象無象の群衆が何の法則も持たず
思い思いに現れて散っていった、まさにパンドラの箱は開かれた。
德川家康が井伊直政等を従えて戦に明け暮れ、ようやく1615年に築き上げた太平の世は、250年の後、
家康より10代後の子孫の頃、崩れようとしていた。
オランダ、ポルトガル、スペインといった中世欧州の強国は、イギリス、フランス、アメリカにその地位を
奪われ、スペインはフィリピンに、オランダは日本の端で僅かな交易をしていた。
いよいよ3大強国は東南アジアを植民地にして、極東東アジアに北上を始めた、また北からはロシア恐ロシアが
南下、眠れる獅子「清国」、清国の従属国「朝鮮」、サムライの国「日本」、もはやアジアの独立国はシャム(タイ)を
除けば、この三国しか残っていなかった。
清国は今の中華人民共和国で、当時、実質的な中国人「漢族」の国は、北から攻め込んだ満州族に占領されていた
満州族が漢人の国、「明」を滅ぼして作ったのが清国である。
我々がイメージする昔の中国人はラーメンマンの如く、おさげ(弁髪)は満州族のおしゃれなヘアスタイルで、漢民族の
スタイルではない、だが満州人の命令で漢民族も同様のヘアスタイルにさせられていた。
一方、朝鮮はと言うと、今は同じ朝鮮族が南北に別れて独裁国家と、資本主義国家になっているけれど、当時は
朝鮮国王が統治する一つの国だった「李氏朝鮮」という、それも建国からすでに550年を過ぎていた
イ.サン(正祖)の善政を最期に、この国は堕落を始め、腐敗官僚と栄華を楽しむだけの無能な王室の国に落ちぶれ始めていた。
「李氏王家」も今や王妃の実家の「金氏」に実権が移り、名前だけの王朝と化していた
日本では德川将軍家も含め、250諸藩の多くが財政難であえいでいた、戦争は無いものの天災が多発して饑饉がおこり
百姓が命をかけて蜂起する藩が続出したが、そんな中で薩摩島津家など九州の大名は、開けた長崎、鹿児島、佐賀、博多
などの港で異国との貿易(密貿易)を行って潤っていた。
当然、武器類も田舎の江戸や東北、北陸など問題にならない最新式のものが続々と手に入る
薩摩の殿様、島津重豪などは外国語を話し外国文化や文明に大いに興味を持ち藩財政を傾かせるほどの投資を行った
農業生産しかない幕府を含めた東日本とは100年も違う国の様そうになりつつあった。
明治維新が南から始まったのは偶然では無かったのだ、力を持った者が力なき者を虐げるのは歴史の常識である
しかも日本の歴史はいつも南から北に攻め上っていく、神武天皇が出雲国などを従えて北上して大和に建国したパターンが
また江戸末期に起こるのだった。
果たして薩摩や長州に関ヶ原の仇討ち意識があったかどうかはわからないが、長州毛利藩と薩摩島津藩は関ヶ原で
家康に敗れて、毛利は120万石から30万石に国土を削られ、薩摩は国土はほぼ安堵されたものの、その後は
木曽川などの堤防工事などにかり出されて多くの犠牲を強いられた。
関ヶ原で敗れながらも、その2大雄藩が德川の情けで生き残り、250年後に德川家を崩壊させるとは家康も思いもしなかった
だろう、これと同じ例が、源頼朝を助命したために滅ぼされてしまった平氏という前例がある。
ともあれ、異国の蒸気船軍艦黒船は日本各地を訪れ、帆船でのんびり航海していた日本人の肝っ玉をチジミ上がらせた
ところが日本人の面白いところは、驚きながらも大勢の人間が黒船と異人に恐怖だけで無く、興味と好奇心を持ったことである
明治天皇の父、封建時代最期の天皇である121代孝明天皇はさすがに日本の柱であるだけに、異国船と異人に不快感を示し
武家の棟梁である為政者、德川幕府に異国船を追い払えと命じた。 続く
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