地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

エコの本質

2008年11月16日 | お仕事日記
仲のいい男友達が、
「俺、商業的なエコって嫌いなんだよね。」
と言った。

彼は、「うそくささ」に敏感なコア・サーファーで、
私は彼のそういうところが大好き。
そして、私たちはいつも、
「雑誌に書いてあるような生き方なんてしたくないし、
そういう生き方してる人なんてつまんないよね」
っていうようなことを話している盟友だ。

だから、彼の感性がNOと言った「商業的なエコ」ってどんなものなのか、
よく考えてみようと思った。

エコがブームになって久しい。
今や、ありとあらゆる業種業態のビジネス主体が
エコを標榜し、巷には緑色を使ったデザインで
"エコへの取り組み"をアピールする商品があふれている。

そのことが却って、「エコロジー」の本質を見えにくくしているように思う。

環境アクティビストの加藤登紀子さんが
日経エコロミーのインタビュー記事でこう語っている。

「昔から、『環境』『エコロジー』といった言葉をキーワードに活動して来たけど、ちょと前までは『そんな言葉を使うとお客が白ける』といって、結構、気をつかってたかな。

最近は誰もが『エコ、エコ』と言うようになって『エコ』にパワーがなくなったわね。(笑)マーケティングに利用しようとする人たちも当然出てきていて、環境問題やエコロジーについて、ある種の提言、情報、あるいはモラルとして伝えることは、かえってとても難しくなってきたように思います。」

エコロジーは直訳すると「生態学」。
「生態学」という森羅万象を内包する広大かつ深遠な
思想や科学を意味する言葉が、
知名度と引き換えに、単純化・記号化されてしまった
ということを、加藤さんは言っているのではないかと思う。

エコが商業ベースで、
モノや情報に姿を変える過程では、
どうしてもわかりやさが求められる。

わかりやすいことは、決して悪いことではない。
でも、「誰でもすぐわかること」は
ひとびとをすぐに「わかった気」にさせ、飽きさせる。
そして、まだ答えが出ていないことを
さもそれが答えであるかのように見せかけなければならないから、
おのずとうそくさくなる。

そのうそくささがきっと、彼のカンに障り、
"エコ的なもの"から遠ざけているのだ。

本当のエコってなんなのか、
まだ最終的な答えは出ていないのだ。

増え続ける人間に対して、
水と食料とエネルギーを、
どうやって調達するのか。
そのことを可能にするための一人一人の行動とは
どういうものなのか。

CO2の削減目標だけでは、問題は解決しない。
(もちろん、達成するべきだけど)
万人が最低限の文化的な生活を営めるように、
地球という巨大な生態系に調和した
人間ならではのふるまいを、
なるはやで見つけなければならない。

個人のレベルに落としたときにはおそらく、
"生態系に調和したふるまい"の形はひとつではないから、
経済発展先進国で、十分な教育と生活環境を
与えられてぬくぬく育った私なんかは、
恵まれなかった30人分ぐらいは、
学び、考え、意思と意見を持ち、行動しなければならない。

ふるまいのかたちを見つけようとする
姿勢や思想や行動が、現在のところの、エコの本質だと思う。

そして私は、本質的にエコな人でありたいと思う。

それは私にとって、本質的な生き方を目指すことや、
本当に海を愛するサーファーであることと、
とても近い。