肩書きが、やっかいでしかたがない。
たった一言で、わたしを表現できるわけがない。
機能で見られたくない。
誰かが代表をしている、なんらかの団体に所属して見られたくない。
わたしはわたし。
わたしはあなた。
今、目の前にいるわたしに集中してほしい。
どこにいるかわからない。
何をしてるかわからない。
あとから全部わかるから、今はまだわからない。
この強烈な願望は、学歴ラベリングへの強烈なアンチテーゼであり、
学歴ラベリング思考が刷り込まれている反動としての、
アンチアイデンティティ思考の現れである。
肩書きも言語であり、言語は「生」の「今」つまり「LIVE」の思考やあり方の排泄物なので、
言語化されたとたんに陳腐化していくのはしかたがない。
言葉って、そういうものだ。
肩書きには柔軟性がない。固定であり、枠組みであり、ラベルであり。
わたしが嫌いなものばかり。