私の場合を白状すると、入部の動機は至って不純なものだった。
理由その1 イッコ上の男の先輩4人がカッコいい。
理由その2 練習場である鎌倉材木座ビーチがうちから近い。
前者は置いといて(笑)
それまで、諸事情により退寮になったせいで
神奈川の南のへりから東京の西の外れまで
片道2時間かけて高校に通っていた。
だから、
「地元にベースができる」というのはとっても魅力的なことだったのだ。
このときは知る由もなかったことだけど、
私は、自分をウィンドの世界に引きずり込んだ
(私が勝手に引きずり込まれたんだけどね)
"カッコいい先輩"のうちの一人と大恋愛をすることになる。
人生何があるかわからないのだね。じつに。
勧誘されたわけでもなく、
奈々絵の「海系のいい感じのサークルあるよ。ウィンドサーフィンだって」
という言葉に乗っかって自らブースに吸い寄せられた私。
今登場した、「奈々絵」というのは高校の仲良しグループ友達。
同じように寮生として入学して
同じように退寮になって、
家が同じ方向ということもあって飽きるほど一緒にいて、
もう飽きたと思ったら、大学も同じになってしまったクサレ縁だ。
いざという時の自己主張と押しの強さが持ち味なので
やや敵を作りやすいけど、
一対一では相手の空気に敏感な賢い女子。
結局一緒に入部して、サークルまで一緒なの?とまわりに呆れられた。
でも、私がレースにハマって行く一方で
彼女には、「順位がつく限りは1番になりたい!」という類いの競争本能は
備わっていなかったらしい。
2年の終わりには正規練には来なくなり、
サークルを辞めて大学も中退した。
それはさておき。
トントン拍子に試乗会まで行き、
あまりにも全く、ウィンドサーフィンらしいことができなかった
記念すべき4月の日曜日、私の海狂い人生が始まったのだ。
初めて道具に触り、波打ち際でボードに乗る。
海面に倒れているセイルを、ブームから垂れ下がっているロープ
(アップホールラインという)を使って引っ張りあげる。
うまく上がって、マストがボードに対して垂直に立ったら
ロープからブームに手を移し、垂直状態をキープする。
この状態のとき、自分の立ち位置は、
ボードとリグ(セイル+マスト+ブームがセットされたセイル部分の総称)をつなぐジョイントの両側にあり、真上から見るとセイルはボードに対して垂直に開いている。
次の段階で、開いているセイルを、ボードのほうに引き寄せると、セイルが
風を推進力に変えて、ボードが走り出す。
そのためには、セイルを落とさないように支えながら、
自分をしかるべき位置に移動させ、体重を使ってセイルの角度をコントロールしなければならない。
以上のことを、風にセイルをなぶられ、足場であるボードを波に揺らされながら
こなすのだ。
セイルは重いし、何もできないし、
雨でも降っていれば4月の海はまだまだ冷たい。
そんなわけで、せっかく可能性に満ち溢れた貴重な土曜日に
電車を乗り継いで鎌倉くんだりまで出かけ、
試乗会に参加しても、ここでほとんどが脱落する。
私はというと、ボードから落ちたりこけたりして
よろよろしたりしている間に、
「これに乗れるようになりたい」「なんかアツそう」
という感情が相模湾上空から下りてきた。
単純に、「道具を携えて海に出る」という行為が、
たとえ使いこなせなくても、
自分にとって最高に楽しいということを
察知したのかもしれない。
冒頭で書いた通り不純な動機も多分にあったけど、
これから始まる大学生活に、完璧にワクワクできる未来が見えた。
新歓の流れとしては、GW中に艇庫セブンシーズで行う1泊2日の新歓合宿までに
入部するかどうかを判断する決まり。
私は4月の半ばにはもう心を決めていて、
あとは、30万円をどうやって親にねだるかだけが問題だった。
実際のところ、その年、つまり1998年度は
二男目当てのトントン拍子シスターズが
大量にいたし、そのうち5人は30万円の道具を買って入部した。
男子も2人。
7人のヒヨコたちは、それぞればらばらなテンションで、
お互いに興味を持つよりも、ウィンドの技術を上達させるよりも、
先輩たちと早く仲良くなりたい気持ちが
先行していたような気がする。
サークルとしての、結束の固さを感じたし、きちんと目指す目標がある適度な緊張感があった。
そして体育会系ド根性ではなく、センスとおしゃれ感のある
キラキラした先輩たちが、私たちヒヨコを迎えてくれたのだ。
理由その1 イッコ上の男の先輩4人がカッコいい。
理由その2 練習場である鎌倉材木座ビーチがうちから近い。
前者は置いといて(笑)
それまで、諸事情により退寮になったせいで
神奈川の南のへりから東京の西の外れまで
片道2時間かけて高校に通っていた。
だから、
「地元にベースができる」というのはとっても魅力的なことだったのだ。
このときは知る由もなかったことだけど、
私は、自分をウィンドの世界に引きずり込んだ
(私が勝手に引きずり込まれたんだけどね)
"カッコいい先輩"のうちの一人と大恋愛をすることになる。
人生何があるかわからないのだね。じつに。
勧誘されたわけでもなく、
奈々絵の「海系のいい感じのサークルあるよ。ウィンドサーフィンだって」
という言葉に乗っかって自らブースに吸い寄せられた私。
今登場した、「奈々絵」というのは高校の仲良しグループ友達。
同じように寮生として入学して
同じように退寮になって、
家が同じ方向ということもあって飽きるほど一緒にいて、
もう飽きたと思ったら、大学も同じになってしまったクサレ縁だ。
いざという時の自己主張と押しの強さが持ち味なので
やや敵を作りやすいけど、
一対一では相手の空気に敏感な賢い女子。
結局一緒に入部して、サークルまで一緒なの?とまわりに呆れられた。
でも、私がレースにハマって行く一方で
彼女には、「順位がつく限りは1番になりたい!」という類いの競争本能は
備わっていなかったらしい。
2年の終わりには正規練には来なくなり、
サークルを辞めて大学も中退した。
それはさておき。
トントン拍子に試乗会まで行き、
あまりにも全く、ウィンドサーフィンらしいことができなかった
記念すべき4月の日曜日、私の海狂い人生が始まったのだ。
初めて道具に触り、波打ち際でボードに乗る。
海面に倒れているセイルを、ブームから垂れ下がっているロープ
(アップホールラインという)を使って引っ張りあげる。
うまく上がって、マストがボードに対して垂直に立ったら
ロープからブームに手を移し、垂直状態をキープする。
この状態のとき、自分の立ち位置は、
ボードとリグ(セイル+マスト+ブームがセットされたセイル部分の総称)をつなぐジョイントの両側にあり、真上から見るとセイルはボードに対して垂直に開いている。
次の段階で、開いているセイルを、ボードのほうに引き寄せると、セイルが
風を推進力に変えて、ボードが走り出す。
そのためには、セイルを落とさないように支えながら、
自分をしかるべき位置に移動させ、体重を使ってセイルの角度をコントロールしなければならない。
以上のことを、風にセイルをなぶられ、足場であるボードを波に揺らされながら
こなすのだ。
セイルは重いし、何もできないし、
雨でも降っていれば4月の海はまだまだ冷たい。
そんなわけで、せっかく可能性に満ち溢れた貴重な土曜日に
電車を乗り継いで鎌倉くんだりまで出かけ、
試乗会に参加しても、ここでほとんどが脱落する。
私はというと、ボードから落ちたりこけたりして
よろよろしたりしている間に、
「これに乗れるようになりたい」「なんかアツそう」
という感情が相模湾上空から下りてきた。
単純に、「道具を携えて海に出る」という行為が、
たとえ使いこなせなくても、
自分にとって最高に楽しいということを
察知したのかもしれない。
冒頭で書いた通り不純な動機も多分にあったけど、
これから始まる大学生活に、完璧にワクワクできる未来が見えた。
新歓の流れとしては、GW中に艇庫セブンシーズで行う1泊2日の新歓合宿までに
入部するかどうかを判断する決まり。
私は4月の半ばにはもう心を決めていて、
あとは、30万円をどうやって親にねだるかだけが問題だった。
実際のところ、その年、つまり1998年度は
二男目当てのトントン拍子シスターズが
大量にいたし、そのうち5人は30万円の道具を買って入部した。
男子も2人。
7人のヒヨコたちは、それぞればらばらなテンションで、
お互いに興味を持つよりも、ウィンドの技術を上達させるよりも、
先輩たちと早く仲良くなりたい気持ちが
先行していたような気がする。
サークルとしての、結束の固さを感じたし、きちんと目指す目標がある適度な緊張感があった。
そして体育会系ド根性ではなく、センスとおしゃれ感のある
キラキラした先輩たちが、私たちヒヨコを迎えてくれたのだ。