シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

会うべき人に会っている。

2006-03-29 12:09:42 | 気づき

 このごろ強く思うようになったのが、出会いというのは、出会うべき人に、出会うべきタイミングで起きているのではないかということです。

 そして、いわばゲームで言うところの対戦相手にあたる、出会う相手は、良きにつけ悪しきにつけ、今の私の心の中を忠実に反映しているように思います。

 自分の心の変化によって、毎日出会う人の種類が変化するように感じるのです。

 ほんと、自分が変わると世界が変わるのが面白くて仕方ないのですが、同じように思う方、いません?

 最近、「どうしてこんな素敵な人と自分はいかにも親しく話ができているんだろう?」という、想定以上の現実の早い流れに一瞬ついていけなくなりそうな気持ちがすることしきりです。

 鮮明な彩りを伴いながら次々と変化していく、目の前に展開する現実は、私の興味を釘付けにしています。私はその前で、目を丸くしながらそれを眺めている感じです。現実は面白すぎる・・・


記号に操られやすい日本人

2006-03-29 02:17:42 | ちょっとした話題&日々の出来事
 日本人ってすごく学習能力が高い民族だってよく思うんです。

 ただ、学習能力が高いことの副作用なんだと思うんですが、すごく大きな欠点があるように見受けられます。

 それは、「記号に心理操作されやすい」ということです。  いったん、ある記号にパワーがあるって認める(ま、これが学習ですね)と、それ以後、盲目的にそれを信じる傾向がある。

 例えば、ブランドにこれほど群がる民族も少ないわけです。ルイ・ヴィト○の全世界の売上のかなりのパーセンテージを日本が占めているのは有名な話です。ルイ・ヴィト○のマークが付いていれば、ほとんど何も見ないで買う人が沢山います。

 それに大学ブランドにも弱いですよね。いい大学を出てる人に対しては、その人が馬鹿なことを言っていても、「○○大学を出てる人が言ってるから。」と鵜呑みにしたりする傾向があります。

 有名人の名前にも弱い・・・ 有名人であれば、その人の言うことを鵜呑みにする傾向があるわけです。  

 記号は、実体につけられるレッテルに過ぎないのに、学習能力が高すぎて、実体を見ないで記号で判断してしまう傾向があるのです。ま、頭でっかちなんだと思います。

 もう少し、記号に頼ることなく、物事の本質それ自体を見る、まっさらな目線を確保することが必要なのではないでしょうか。