シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

コクーンタワー@新宿

2009-04-29 12:10:15 | ちょっとした話題&日々の出来事

 昨日は新宿に行ったので、帰りにコクーンタワー地下のブックファーストに行きました。

 これがなかなか楽しい本屋です。

 歩いていると自分がどこにいるのか分からなくなり、思ってもみなかった本と出会う感覚が味わえます。

 自由な感覚が研ぎ澄まされ、思い込みが取り除かれていくような設計です。

 後は、自分としては、「トビタン」が3冊もあったのがとても嬉しかったです。さすがモード学園の地下にある本屋です。

 それから、1階のカフェに行きましたが、いろいろな本を只で読める特典が付いているのにもかかわらず値段がそんなに高くない、いい感じの空間です。

 新宿駅からもすごく近いのに、まだ認知されていないこの空間は、これからのお気に入りになりそうです。

 ビルのデザインも賛否両論分かれているようですが、私は好きですね。あんだけ自由に作ったわりに全く破綻していません。

 コクーンというのは、「繭」のことですが、このネーミングもいいですね。デザインを学ぶ学生たちを育てる繭、というコンセプトは、今どきのビルにしては珍しい、温もりのあるイメージがします。

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議論を好まぬ日本人

2009-04-29 12:03:28 | 気づき

 今日父としゃべっていたのが、日本人というのがいかに議論が嫌いで、議論ができないか、ということです。 

 議論=喧嘩、だと思っている人がなんと多いことか。明らかに違うんですけどね。

 そして、議論というのが、「どっちが偉いか?」を競うものだと思い込んでいる人がこれまた恐ろしく多いのです。

 議論というのは実際には、どっちが偉いかを競うものではなく、真実を探るために必要欠くべからざるものなわけです。が、どうも、昔のお代官様がいてその言うことを聞かないと厳罰を処せられたという過去とか、あるいは目上の人のことは聞かないといけないという儒教の教えによる洗脳とかの影響で、多くの日本人というのは未だにまともに議論ができないようになってしまっているように思うのです。

 でも、議論ができない、というのはこれからの世の中では致命傷です。

 というのは、議論ができず、その結果真実が追求できないということは、未知の問題を解決することもできないし、新しい考え方を作り出すこともできないということに帰結するわけですからね。

 そして結局、「少数の"偉い人"の思い込み」が通ってしまう可能性が出てきてしまうわけです。これはいかにも危険ですね。

 最近では、議論ができる日本人は増えてきてるとは思いますが、それでもなお、ちゃんと理由を示して論理的に議論をするという基本的なことに対して抵抗を覚える人がまだまだ多数派ではないでしょうか。

 さて、中には自分の能力の低さを恥じることもなく、論理を立ててきちんとしゃべることを、「理屈っぽい」として堂々と忌避する人が結構いますが、こちらとしては非常に困ります。

 なぜなら、彼らは論理的な議論自体を避け、まるで猿のように感情を口にするだけだからです。そしてその感情の根拠はというと、自分でも説明のつかない単なる思い込みであることが非常に多いのです。世の中説明のつくことばかりではないのは承知していますが、その努力すらしない、そういう人たちといったいどうコミュニケーションを取ればいいのでしょうか?

 もちろん皆が皆そうというわけでは決してなくて、おおざっぱな話ですが。