シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

村上龍「無趣味のすすめ」感想③~部下は「掌握」すべきなのか~

2009-04-12 20:36:09 | 読んだ本

 この章では、153ページで、

 「~~部下とのコミュニケーションで悩んでいる上司がいるということが、わたしには理解できない。部下のモチベーションを上げる方法で悩んでいる上司がいるのもよくわからない。わたしの場合、映画製作やキューバ音楽イベントで共同作業をするとき、モチベーションのない人間は即刻辞めてもらうし、担当の編集者にやる気が感じられない場合も交代してもらう。」

 と書いている。

 これは、ひどいとしか言いようがない。

 そんな簡単に気に入らない人間をスパスパ切れるなら、誰も苦労はしない。したいけどできないから悩んでいるのだ。そんなに皆馬鹿ではない。「わからない」とか、「理解できない」とか簡単に言い切っているが、普通に想像すれば分かることで、大きな声で言えることではない。村上氏の想像力が極端に低下してきているのではないかと疑ってしまうし、会社には労働法が適用され、そんなにスパスパと人を切れないというのは常識だろう。第一、法的に許されたとしても、そんなに好き放題に人を切ってしまう人間に喜んでついて行く人間がいるだろうか?

 単なる、常識及び想像力不足と言ったら言い過ぎだろうか。

 みなさんのご意見をぜひ聞きたいところである。


レッドクリフⅡ

2009-04-12 19:25:02 | ちょっとした話題&日々の出来事

 今日は、公開されたばかりの「レッドクリフⅡ」を見てきました。

 前作が、最後生殺しのような状態で終わったので、きちっと完結できてすっきりしました。

 ネタバレになると申し訳ないので感想だけ述べると、あれだけの大きな戦争が、実際に行われた時の様子はどうだったろうとあれこれ想像をめぐらしたくなるような、圧倒的な画像の迫力でした。

 あれは映画館の大映像、音響で見ないとダメですね。

 日本人としては、中村師童が出てましたが、他の中国人スターたちと比べると、どう見ても、演技力、台詞、表情など、何をとっても全て見劣りしてました。堤真一とか、もっとちゃんとした人を出してくれれば良いのに。この点は前作と同様。


村上龍「無趣味のすすめ」感想②~夢と目標~

2009-04-12 19:13:51 | 読んだ本

 この章も、テーマは面白いが、中身は単なる思い込みの羅列だと思う。

 この中で、

 「目標は達成されるべきもので、語られるものではない。達成のための努力を続けている人は、他人に自分の目標について語るような時間的余裕はない。いまだ達成されていない目標は、他人に語ることで意志が「拡散」する。目標は自らの中に封印されていなければならない。だから目標を持つのは基本的に憂うつなことである。」

 と書いている。

 まず、「他人に~時間的余裕はない」のところについて言えば、これは、個人で作業をしている村上氏のようなタイプの人にだけ当てはまる話だ。

 みんなで共同作業をするような仕事をしている人間にとっては、この、「目標」について語り、共有するために多くの時間が割かれるべきことは常識である。自分のような人間にだけ当てはまることを、一般化してしまうのは、いかにも視野狭窄で、それこそ、いわゆる「おっさん的」ひとりよがりな世界だと思う。

 また、「いまだ達成されていない目標は、他人に語ることで意志が「拡散」する。」というくだりも、単に村上氏がそういう性格というだけの話である。というのは、他人に目標を語ることによって意志が「増殖」する人はいくらでもいるからだ。 例えば、タイガー・ウッズなどは、試合会場に来るや否や、「ここには勝つためにやってきた。」と最初に宣言してしまうことがよくある。タイガー・ウッズはそういうことを言うことによって意志が「増殖」するからそういうことをするのだろう。村上氏は、ここでも、自分のような性格の人間にしかあてはまらないことを、いかにも全ての人間のあてはまるかのように表現するという愚を犯している。

 「だから目標を持つのは基本的に憂うつなことである。」というところも、よく分からない。「だから」という理由を示す表現を使っているにもかかわらず、ここまでの文章を読んだだけではなぜ憂うつなのかさっぱり分からないのだ。むしろ、突然の「だから」にびっくりさせられた。

 語られるものではなくて達成すべきもので、それについて語る時間的余裕がなくて、封印すべきものであるから、基本的に憂うつ、と言われても、言葉足らず過ぎて意味が分からない。

 それに、達成すべき、つまり義務であるからこそそれが快感という人もいくらでもいるし、語れず、封印された秘密であるから楽しいというものもいくらでもある。

 単に村上氏が、義務であり、語られるべきでないものが嫌いであるというだけの話ではないだろうか?またもや、特殊な事例を根拠なく一般化している。

 どうしてこうした一連の視野狭窄的な思い込みを断言口調で書くのか、素朴な疑問を抱いてしまうのは私だけだろうか?

 あるいは、ある意味法律家的論理で、作家の文章を分析してしまう私の姿勢がおかしいのだろうか?