ふと思ったことですが、
今私が生きている世界において、一見中身がなくて虚しく見えるものに実は中身がきちんとあったり、その一方で、一見中身がありそうなものなのに実は何の意味もなく虚しいものが存在する、ことが良くあるということです。
そして、虚の衣をまとった実に気づかず、実の衣をまとった虚を追いかけてしまうならば、私たちは簡単に不幸になってしまうに違いないと思いました。
でも、10年以上前の映画「アメリカンビューティ」の主人公が最後に気づいたように、何気ない日常の美しさを悟り、一見派手だけど虚しい幻の正体を見破るにはある種の能力が必要ですね。
じゃあ、どんな能力が必要なのでしょうか。
いろいろ必要なのでしょうが、私が今挙げておきたい能力は、今生きているこの瞬間を捉えることのできるだけの感受性と、一定以上長い時間の中での因果の流れを想像できる力です。
ただ、目の前のありのままの存在を、今この瞬間につかみとると同時に、大きな流れの中でその存在の意味を知る、というのはある種の芸当に近いものではないかと思うことがあります。
いわば、ミクロ的視点とマクロ的視点を同時に発動しているような感じですね。