シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

直観と論理の組み合わせがベスト

2009-04-25 13:02:41 | 気づき

 直観だけで生きている」という人がいます。

 この直観だけで生きる生き方は、根拠のない恐怖や雑念を直観と勘違いしてしまうことでどう考えても間違った選択をしてしまうときが出てきます。というのは、直観も、そういった恐怖や雑念も同じように頭の中に自然に沸き起こってくるものなので区別が難しいからです。また、感情に流されやすく、人生に過度な浮き沈みが出てきてしまい不安定になりやすいと思います。また、そのときそのときの感情で物を言う傾向があるため、人の上に立っている人の場合、下にいる人が混乱してしまいます。

 人生の全ての出来事は正しい、という考え方があり、この考えは直観型の人が良く口にする傾向があると思いますが、これは既に起きてしまったことや、自分ではどうしようもないことに対するスタンスとしては合っているのですが、将来の選択についてまでこれをあてはめてしまうと、これはどんな選択でもOKなのだという、自分の人生に対してまるで無責任と言ってもいいようなことになりかねません。

 その一方で、論理や理屈、あるいは合理性ばかりで生きている人がいます。

 これも問題です。

 これによると、本当の自分の心とは違う選択をいつもしてしまう危険性があります。すなわち、これだといつも、客観的合理性の見地からは「正しい」選択をするわけですが、それが本音とは食い違っているために、だんだん自分が本当に望んでいる人生とは違う方向に進んでしまう恐れが出てくるわけです。また、動物的なカンから来る危険回避能力が論理によってその機能を阻害されてしまうかもしれません。

 というわけで、直観と、論理、この両者をうまく組み合わせて場合場合に応じて使い分けるのが最も妥当ではないかと思うわけです。

 じゃあどうやって使い分けるのか?

 それは一言では説明できませんが、例えば詐欺師みたいな人にが出てきたら、相手の論理的破綻を論理の脳で見破り、かつ怪しい雰囲気に対する直感的警戒心を生かすという場合があります。これは両方が矛盾しない場合ですから比較的易しいですね。

 難しいのは、両方が矛盾する場合です。

 相手の言うことに対して論理的には納得できていて、でも、直観としてはなんとなく気が進まない、というケースが一つの例です。

 この場合には、その直観が、自分の心の底か来る純粋な思いなのか、それとも単なる未知への恐怖や、過去のトラウマからくる恐怖といったものであるかどうかをある意味論理的に検証する必要があるでしょう。

 この、普段の人生において直観と論理を統合的に機能させることは、いつも意識している人間でも行うのが難しいくらいのもので、一言で説明できる類の話ではないと思うのですが、努力に値することだと思います。