人間には、心の視野というものがあります。
これは、今までに経験したことや、学習したこと、などから出来上がっています。
そして、人間にとってのリアリティというのは、自分の心の視野から見える世界のことです。
でも、当たり前のことですが、実際の現実というのは自分の視野から見える範囲の現実には限られません。自分からは見えない膨大な現実世界というものがあるわけです。
にもかかわらず、人間はどうしても、限定された自分の視野から見える狭い世界を現実世界の全てだと勘違いしやすいのです。
こういったことを自覚している人間は、まさに言葉通り、「無知の知」を獲得していると言えますが、途方も無い回数にわたり、いろいろな人によってこのことが強調されているにもかかわらず、これを実践できている人はいかにも少ないように思われます。
要は、養老猛さんが少し前のテレビCMでのたまったように、「私は知らない。」と断言できるかどうか、ということなのですが、それにしても少ないのです。
この無知の知を獲得するかどうか、自分の視野の限界を知っているかどうか、でそれこそ雲泥の違いが生じるのは間違いありません。
その違いは、自分が経験したことがないことについて人がどのように対応するかということに集約されると思います。
無知の知がある人は、
「それは私が知らないことだから、情報をできるだけ集めて、その上で想像力を働かせて可能な限り理解しよう。」
と思いやすいのに対して、無知の知が無い人は、それについてよく知らないにもかかわらず、知識を集めることも、想像力をめぐらすこともなく、
「それは、~に違いない。」
と断定してしまうのです。根拠はおそらく、
「自分の経験から、そう見えるから。」
となるのでしょうが、もともと知らないことですから、当たる確率はもちろん低くて、単なる偏見であることが大半ということになってしまいます。また、決め付けてしまってそれ以上調べようともしませんから、自分の成長も止まってしまうに違いありません。
こういう例として、先日、今回全裸で公園で騒いでしまったSMAP草なぎ容疑者に対して、「最低の人間」発言をした鳩山総務大臣が挙げられると思います。
あれは、大臣の大して広くもない、というよりはおそらくかなり狭いであろう視野から見て、「最低の人間」に見えたからそう言っただけであり、そこには、草なぎ容疑者のような立場にいる人間が抱えている悩みや、ストレスなどに対する無知を自覚していない幼稚性が明らかにあるのではないでしょうか。