人とタイヤとキーパーコーティング!

タイヤ「安全」と車「キレイ」の領域で 岐阜で専門店展開 ありがたいことです!

自分に出来ること それは自分自身を見つめることか!

2016年11月17日 | 日記
ありがたいことに両親も元気でした。
昨日 片付けがあるということで母から連絡があって
軽トラに乗って下呂の実家に行ってきました。
今は作らなくなったトマトのビニールハウスにある
資材の片付けをして 粗大ごみにしてゴミ処理場まで運んで片付けてきました。

田舎の広い家に 今では両親が二人で生活されています。
昨年免許を返上された父親は 少し引きこもりがちになられていますが   
これも枯れていくように人生の終末に向かう流れなら               
きわめて順調なのかもしれません、病んで病院のベットにいるのでなく
我が家の畳の上で過ごしている事だけでも ありがたいことかもしれません。

高齢者のブレーキとアクセルの踏み間違い事故が多発しているようですが
大事に至る前に免許を返上されたことにありがたさと敬意を表します。

                                             

免許の返上と言っても 父もそれなりに抵抗がありました。
「まだ大丈夫、車が乗れないのは不都合だ」という思いがあるからです。
現実には84歳で 小さな事故も続けて大事に至る「兆し」は随所に顕われていました。
「自分自身の思いではまだまだ乗れる」という主観が先行しますが
一歩引いて自分の運転を見つめてみれば
「信号を見落として衝突した」
「すれ違いで対向車にこすったにもにもかかわらず 何も感じづ行ってしまった」
「車庫入れの時 やたら車庫にぶつかる」 など
今までとは違う自分であることを感じるはずです。

ここに勇気がいることだったと思います。
誰も老いを認めたくありません 
認めることで車の運転という自由を失うのですから なおさらです。

でも 説得に応じる形でも自主返納されたことは
自分自身を見つめられ納得されたからこそです。
自由を失ったようですが 
家族の心配を低減されました。


生老病死という人生の流れは 
誰もに平等に訪れます、 
人生の節目のその時その時に  
自分を見つめることの勇気だけは持ちたいものです。

                                             







開店のお祝いとして頂いた胡蝶蘭  
ミズゴケとパークで鉢替えして育成中です。
カラカラに乾いてから水をやるのがコツだそうですが
親身なって世話する優しさが 自分にもあるようです。

大きなイノチの中で それぞれが役割を分担していて す
る・しないの自由は人間のみに与えられた選択権でしょうか?
かまい過ぎれば根腐れし 無視して忘れてしまえば枯れてしまう。
世話する人自身の問題です。
コメント
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