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靖国  鎮魂ではない 田布施朝鮮の神社もどき / かわいい タコ

2016-08-15 19:10:15 | 田布施族 朝鮮半島  


中国からの輸入呪術だった靖国。

国禁犯して死者へ適用の招魂社/日本古来の伝統を破壊のニセ保守




保守のふりのニセ保守は、ウソとデマで成り立っている。保守ジェスチャーが不可欠だ。

国土喪失の福島を放置しておいて米軍基地拡大に金をだす、TPP売国をやっていながら、時々はイアンフーとか靖国とか核武装とか二分間憎悪を発動せずにはおれない。これに騙された保守人士も多いだろう。



中国輸入儀式に日本で社を与えて創った装置だった靖国「神社」



騙されないようにするため、古来と新設とを明確に分けなければいけない。ウィキの委細を要約すると次のようになる。日本古来の国禁であった死霊招魂式を開始してしまったのだ。さらに神社のふりをさせした。


===
靖国「神社」(東京招魂社)は、


1、軍人戦死者への招魂式を幕末・明治初に、長州藩 (朝鮮)が中国から輸入して招魂社を新設

2、中国道教の儀式にもかかわらず、日本古来の神社神道の形式を採用し「神社」と名のらせた。長州では招魂「場」→東京では招魂「社」→のち「神社」

3、招魂祭は、日本古来の神道鎮魂祭とは別ものである。招魂祭は中国陰陽道

4、死者に対する招魂祭すなわち死霊招魂祭は、日本古来、国禁であった。遅くとも平安時代以来、天皇が禁止

5、皇軍軍人の戦死を安国のためと認定。国のための制度。

6、皇軍軍人のみの戦死霊を招き出し国のために招魂式をする場が招魂社

7、儀式の時だけでなく何時でもこれからもずっと招魂し続けるように改名したのが「靖国神社」

===



靖国社は招魂し続けるところであって、鎮魂を行うところではない。靖国はあくまで万世不易神霊厳在に招魂式を行う招魂社だ。「鎮魂社」ではない。にもかかわらず鎮魂を願った、とか言う。これは大間違いだとわかる。が知ってて言うなら大虚つきだ。


なぜ嘘を言うか。死霊招魂祭で、死霊の前で未来の新しい死霊に誓ってほしいのだ。次に死んでくれるヘイタイが欲しいのだが、そんなことはサスガニ政府でもはっきりとは言えないだろう。




==招魂は鎮魂にはあらず==

このように、天保の国学者・伴信友(若狭小浜藩生まれ1846没「天保の国学の四大人」)が述べている。


これを否定し隠し、鎮魂のふりして、古来の神社づらさせた制度が東京招魂「社」のちの靖国「神社」だ。


長州国も 東京招魂「場」とはしなかったところが味噌なのだろう。長州に招魂「場」を初めて創ったときは神道と別物と意識していたであろう。社の形式を与え、さらに新政府の神社制度に連ねて、上からの強制と誤解とが、「神社」にしていっただろう。ロベスピエールを研究した者がいたかもしれない。



われわれの先人達が騙されたからと言って今また騙されることはない。



靖国は、鎮魂・慰霊の場どころか逆だ。死霊を眠らせずに呼び出す場所、招いた死霊を前に誓う場所だ。


何を誓うか?



勿論、戦死に至らしめた軍命の如何に係らずこれを是認し、戦死をもたらした敵への愾心と復讐を誓う。自らの家を亡ぼし、我が身を擲って、死霊の列に連なる決意をもって誓う場所だ。招いた死霊が新しい未来の死霊を呼び奮い立たせる。死霊の霊力を借りて国家を守る制度。



だから当然、そこにA級戦犯を合祀するということは、軍人戦死だと認定することであり、招魂式の対象とすることであり、眠らせるのではなく「万世不易・神霊厳在」に招き、致死の軍命を是認し、戦死の原因となった敵に・・・を誓う、というこを常在制度として行っているということになる。A級戦犯を判決・処刑した戦勝国当局の心中は・・・。




一般的な「宗教」のふりをしているが宗教でないことは明らかだ。

国家の行う軍命と戦争。その戦死軍人のみを対象とする以上国家の行為に対し分ち難く固着し是認しているのであって国家と分離しているとは到底言えない。

国家の名でなした命令と行為を全て丸ごと是認するのは国家装置だ。それが宗教であるわけない。宗教法人だと言いなしているが問われるだろう。



ある外人が「追悼施設だ」と説明されて、あっ、それなら全ての民族に認められるべきだなどと言い出すのは、大した耳学問か、わざとだ。

追悼施設ではない。戦死軍人の死霊の霊威を借りる招魂式を恒常化させるための社であって、国家のための制度だ。けっして戦死当人や遺族のためでないことは、労災を讃える制度が労災被災者のためでないのと同じように、明らかだ。



.....................................
(以下wikiから要点まとめ)


靖国「神社」は日本古来の神道ではない。中国から輸入した道教の招魂祭を、死者に行うのは日本の国禁であった。が、慶応元年1865年初めて長州でが社を造ったものである。


神道の鎮魂祭みたましづめ、とは違うものだ。


すでに平安時代に招魂祭を死者に執り行うことは禁止されていた。しかしそれを長州藩が幕末・明治初に戦死霊の招魂祭制度として新設した。



(投稿者感想;なぜ長州藩が始めたかは奇兵隊創設と関係があるであろう。東京招魂社を造るべしと提案したのは、長州の百姓から学問で出世した大村益次郎であった。忠君のための出身階級を超越した戦争戦死の死霊共同思想とでもいえようか。)



その目的は、招魂社を靖国神社と改名の祭文に明確だ。
一時の招魂でなく万世不易の招魂、死者の霊を前に復讐を誓い、軍人戦死霊の列に繋がることを誓う場所


赤き直き心で
家を亡ぼし
身を擲(なげう)って
もって安国


これでは後の「爆弾三勇士」も「神風特攻隊」もあたりまえの必然となる。



自らの家をも亡ぼして我が身を擲たさしめる制度、これを恒常的に行わさせる制度、これが古来の神道であるわけない。神道の形式をとって社殿・儀式を新作した、幕末に輸入した中国道教の改作であった。



「招魂祭は
生者に対して行う祭祀であり、死者に対して行うことは禁止されていた。禁を破った者は罰せられた(『左経記』1025年8月23日条)
日本の陰陽道では死者に対しては行わない点が中国の道教との大きな相違点である。」




日本初の招魂社は長州で、
櫻山招魂場(現・櫻山神社、慶応元年(1865年)8月、山口県下関市)であった。
以上は要約。



以下は各ウィキからの部分引用です。
.
概略

日本の陰陽道では衰弱している生きた人間の活性化のため、
中国の道教では死者の霊魂の離散防止のためとして行われる。
神道の生者・死者の双方に対する鎮魂祭とは別のものである。




日本の陰陽道


平安時代の中頃から貴族社会に浸透した。初見は『小記目録』第8巻「御祭事付解除」の「永延二年十月十一日招魂祭時」という記述。

「永延二年」は988年。人には「魂」というものがあると信じられ、熟睡したり悩み事に屈託したときには衰弱した肉体からその「魂」が遊離すると考えられていた。

そのため、病気やお産などの際に身体から遊離した魂を屋根の上で衣を振るなどして招き戻す祭祀を行った。




生者に対して行う祭祀であり、死者に対して行うことは禁止されていた。禁を破った者は罰せられた(『左経記』1025年8月23日条)。1025年8月の藤原嬉子の死去に際し陰陽師の中原恒盛は招魂祭を行い、祓を科せられそうになったという。

日本の陰陽道では死者に対しては行わない点が中国の道教との大きな相違点である。




中国の道教

道教では死者に対しても招魂祭を行う。但し、復活の儀式ではない。

http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/645.html






◎ この靖国神社は1869年の創建。当初の名称は「招魂社」だったが、1879年には現在の名称に変更され、第2次世界大戦に日本が敗れるまでの所轄は陸海軍省だった。日本軍と一心同体の関係にあったわけだ。


最初に祀られているのは、戊辰戦争や西南戦争において薩摩藩や長州藩など(新体制)の側で戦死した人びとから始まり、第2次世界大戦で戦死した人びとまで。
 

ちなみに、アメリカは閣僚の靖国神社参拝を嫌がっているが、理由は韓国を刺激するからだろう。韓国は中国に対する軍事的な圧力を加える上で重要な国であり、中国側へ追いやるようなことは避けたいはずだ。

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608150000/







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