スパシーバ  プーチン

魅力あるプーチン
偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

ダライラマ

2020-05-30 17:29:49 | 天使と悪魔

5.39 ダライ・ラマが米ミネソタ州の黒人暴行死を批判

ダライ・ラマ14世は米ミネソタ州でアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが州警察の男性らに暴行を受けて死亡した事件を受けて、米国社会に巣食う人種差別を批判した。


ダライ・ラマはテレビ演説を行い、ジョージ・フロイドさんの死に哀悼の意を表した。ダライ・ラマは演説の中で、以下の通り発言した。

地上に暮らす70憶の人々はみな苦しみではなく、幸福を求めている。この意味で人々は等しく、同じ思いで生きている。

ニュースやメディアでは偏見や差別に端を発した殺人事件が連日のように報道されている。

まさに昨日、私はテレビで米ミネソタ州の事件を目にした。

黒人男性が地面に押さえつけられ、警察が駆けつけ、その人の首を膝で締め付ける映像が流れていた。

差別により、多くの人の偏見により、このような事件が起こってしまう。


ダライ・ラマは衆生を救済するため菩薩の身となった聖観音について取り上げたテレビ番組の中で上記の発言を行った。



☆  ダライラマは 善人を装う CIAの 工作員。  

櫻井よしこが 賛美する。  


現法王も 善人を装う 反キリスト ワンワールドの 黒幕。  背乗り ニツポンの ニセトップが 応援する。









キューバには ノーベル賞より 制裁解除が重要

2020-05-27 14:47:31 | 天使と悪魔

ラモナ・ワディ
2020年5月20日
Strategic Culture Foundation


 コロナウイルス流行に対処するため世界中の国々を援助するキューバ人医師の努力が認められて、ヘンリー・リーブズ医療旅団にノーベル平和賞を与える推薦があった。

旅団は、2005年に、アメリカが、大型ハリケーン・カトリーナ後、キューバの人道的援助の申し出を拒絶した後、キューバの革命指導者フィデル・カストロが設立したものだ。


 2015年、ヘンリー・リーブズ医療旅団は、アメリカが推進する軍国化と極めて対照的な、エボラ流行との戦いに対するキューバの医療、人道支援貢献のかどで、ノーベル平和賞にノミネートされた。



 この賞は認知度も高めるが悪評もある。

受賞者の中には、民主的な選挙を通して、キューバ革命の影響が中南米に広がるのを阻止する狙いで、チリに新自由主義と独裁を導入したヘンリー・キッシンジャーがいる。

他の受賞者には、性的虐待を含む、いくつかの人権侵害の罪で告発されている国連平和維持軍もあり、

国連自身、植民地政策を絶滅させる責任を放棄し、バラク・オバマは、彼の支配下で、アラブの春という口実で、アラブ世界を軍事介入で荒廃させ、

平和構築を自慢するEUは、イスラエルの植民地建設と、アメリカ、国連とNATOによって決定される軍事介入を支持している。


 世論に反して、平和賞には何ら高尚なものはない。実際、世界に肯定的な相違をもたらした個人から、平和調達者として称賛された戦争犯罪人までの様々な受賞者は、利他主義以外のものが動いていることを示している。ノーベル平和賞は、フィデルの革命的な原則や行動、キューバ革命やキューバ国民からはほど遠い政治的な狙いに奉仕している。

 最初のキューバ人医師たちがヨーロッパに到着した際、キューバに対する違法なアメリカ封鎖を終わらせる話が燃え上がったが、やがて、こだまよりかすかなものに衰えた。

流行がヨーロッパで和らぐ最初の兆候を示すと、政治的言説が続いた。

キューバの国際主義が世界全体にとって模範になった。

一方、国際社会は、一般人の福祉増進に貢献する原則を拒絶している


 世界の首脳たちには、キューバの模範的な国際主義役割の認識を強調する機会がほとんどなかった。

ヨーロッパでは、更なる流行の広がりを防ぐという口実で、更なる監視と抵抗が導入された。国境と地中海を武装する風潮が日常化している。

 キューバは人道的、政治的態度を示したのだ。


救命は人道的だ。

フィデルが、革命という教育過程を通してキューバ全土に伝え、強化した国際主義の原則は政治的なものだ。

社会主義の原則は持続可能な解決策であることが証明されたが、言説は既に政治的行為からコロナウイルス蔓延抑制を支援するキューバの取り組みの一時的認識に移行している。


 もしノーベル平和賞推薦が更に進めば、国際社会は、この認識を利用する機会を得るだろう。

何十年間も、国連がキューバを与えた唯一の譲歩は、アメリカが課した封鎖に対する、定期投票だけで、封鎖を終わらせるための政治的行動は皆無だ。


 いつもどおり、最近の国連によるアメリカへの違法封鎖撤廃呼びかけは、Covid-19の文脈で表現されている。

声明の一部には「流行の緊急事態で、制裁を停止する意志がアメリカ政府に欠如していることは、キューバや、制裁の標的にされた他の国々を、このような苦難をより大きな危険に導くかもしれない」と書いてある。

コロナウイルス流行がなければ、違法な封鎖の撤廃を要求する声明を発表する緊急性を国連は感じなかっただろう。

国際社会は搾取的だが、それでもキューバは、道義、生命を救うための奉仕と共同行動で対応した


ノーベル平和賞は、十分からほど遠い。

キューバには美化された認識という形の補償ではなく、アメリカによる封鎖に対する、疫病流行にでなく、原則に基づいた、統一国際戦線が必要なのだ。



◎ トランプ大統領が、メーカーの尻を叩いて作らせた人工呼吸器が余ったのを、ポチは喜んで購入するそうだ。
そのうち六ヶ所村の原子燃料リサイクル施設で処理するため、宗主国の核のゴミを大金で購入するようになるかも知れない。『乱離骨灰鬼胎草』

 イギリスの知人が、外出禁止を唱える首相顧問が、両親に子どもをあずけようとして、車で遠距離ドライブしたスキャンダルを教えてくれた。

お礼に、違法行為を取り締まる幹部役人が、賭博行為で辞職したニュースをしらせたところ、「太陽の下に新しきものなし」と返事がきた。

巣籠もりを主張する本人の妻が、旅行した話のほうが良かったかもと反省中。


 朝のテレビで、俳優の中尾氏が、フジテレビを怒っていた。

無責任なSNSもさることながら、そういう番組を作って、出演者を守りきれない放送局が責められない不思議。

この局の番組、基本的にほとんどみておらず、番組自体全く知らない。


http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-ca264c.html









社会構造の変化をおこすためには 壊滅的な出来事が必要

2020-05-25 17:07:28 | 天使と悪魔

 新型コロナウイルス(COVID-19)の感染を理由とした収容所化政策の結果、社会システムが劇的に変化しつつあり、

その度合いは14世紀半ばの黒死病に匹敵すると推測、さらにその変化を固定しようと考えている人もいる。


黒死病はペスト菌が原因で、ユーラシアから北アフリカにかけての地域で7500万から2億人が死亡したという。


 昨年10月18日、​ジョンズ・ホプキンス健康安全保障センター、WEF(世界経済フォーラム)、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団はコロナウイルスが全世界で流行するというシミュレーション​を行った。

そのシナリオによると、ブラジルの農場で始まった感染はポルトガル、アメリカ、中国など多くの国へ広がり、感染が終息するのは18カ月後。その時までに6500万人が死亡するとされていた。黒死病に近い死者の人数だ。


 アメリカで社会を収容所化しようとする動きは昔からあるが、電子技術の急速な進歩がそれを加速させた。

監視システムとしてはFBIが1950年代に始めたCOINTELPROや1967年にCIAが始めたMHケイアスが有名だ。


 1970年には令状なしの盗聴、信書の開封、さまざまな監視、予防拘束などをFBIやCIAなどの機関に許そうというヒューストン計画が作成されている。


ただ、この計画は司法長官だったジョン・ミッチェルが強く反対、リチャード・ニクソン大統領を説得して廃案にしたので実現しなかった。(Len Colodny & Tom Schachtman, “The Forty Years Wars,” HarperCollins, 2009)


 しかし、こうした憲法を否定するような法律は2001年9月11日の攻撃の後にPATRIOT法として成立、COVID-19の感染が問題になってから同じ趣旨の政策が推進されている。


 MHケイアスがスタートした直後の1968年、

ベトナム戦争に反対する声を上げようと訴えていたマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された。

それが引き金になって暴動が起こると、鎮圧を目的として2旅団が編成された。これがガーデン・プロット。ケント州立大学やジャクソン州立大学での学生銃撃につながる。


 こうした部隊は1971年に解散させられるが、78年に計画は復活している。

サミュエル・ハンチントンとズビグネフ・ブレジンスキーがFEMA(連邦緊急事態管理庁)を作り上げたのだ。

その中から生み出されたREX84は、国家にとって脅威と見なされたアメリカ市民を大量に拘束するというもの。

その延長線上にあるのがCOGだ。(John W. Whitehead, “Battlefield America,” SelectBooks, 2015)


 ネオコン系のシンクタンクPNACは2000年に国防政策を劇的に変化させるべきだとする報告書を公表、

そうした変化を実現するためには「新しい真珠湾」と呼べるような壊滅的で刺激的な出来事が必要だと主張している。

そうした出来事は人びとに恐怖をもたらすものでなければならないだろう。

2001年9月11日の攻撃や2019年から20年にかけての感染拡大はそうした出来事、数なくとも人びとにそうした出来事が進行していると思わせる出来事だ。


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202005200000/












米 アンチイエズス会を敵とみなす  月探索協定

2020-05-06 16:01:39 | 天使と悪魔

6.6 米国、宇宙関連主要国との月採掘に関する協定を準備 ロシアは含まれず

米トランプ政権は、月の採掘に関する新たな国際協定案を準備しており、協定には一連の国を引き込む計画だが、初期段階ではそれらの国にロシアは含まれない。ロイター通信が事情に詳しい関係者を引用して報じた。


ロイター通信によると、「Artemis Accords」と名付けられる協定は「至近距離で活動する競合国あるいは競合企業による損害または干渉を防ぐこと」を目的としており、

将来の月の基地周辺に「安全地帯」を設けることを規定している。

さらに同協定は、月で資源を採掘する企業にその資源の所有者になる権利を与えることも目的としているという。

なお、ある消息筋によると、これは月の「領有権の主張」に関するものではなく、月の領土に対する主権は宣言されないという。


ロイター通信は、米当局は今後数週間の間にカナダ、日本、EU諸国、アラブ首長国連邦などの国々と協定について正式に協議する予定だと報じている。

なお消息筋によると、ロシアは初期段階においてはこれらの国に含まれない。

その理由は、ロシアの衛星が「威嚇的」な動きをしているとして「米国防総省がロシアを敵とみなすことがさらに多くなっている」ことに関係しているという。



☆ 米国の言葉の 威嚇と 幼稚さは もはや 笑う。

どこよりも 侵略した国が ロシアが威嚇的と言う  

在日本李の 嘘も もはや 笑いのレベルだが。  宇宙侵略をしそうですね 米と イエズス会の仲間。  






イエズス会を脱会したアルベルト・リベラの証言

2020-04-25 16:32:22 | 天使と悪魔

ユダヤ人達は神殿で犠牲を捧げ続けた。

それは天の神に対する侮辱であり嫌悪を起こさせるものだった。


彼の一人子が、永遠に全ての犠牲を廃止するため、一度きり犠牲となったのだ(※)。

だがユダヤ人達はそれを行い続けた。(※へブル人9章11-15節、10章1節)


主は紀元後70年にその犠牲の儀式を止めさせた。


イエスと預言者ダニエルはこのことが起こると預言した(※)。

タイタスという名の一人のローマの将軍が、エルサレムを荒廃させ、神殿を破壊したのだ。
(※マタイ24章1-2節、ダニエル9章26節)


この虐殺から生き延びたユダヤ人は安全な他の国へと離散した。

その時以来、神は彼らが動物の犠牲を捧げることがないよう、神殿を再建させないようにされた。


教会は大きくなっていき、サタンは福音に対する全面戦争を宣言した。


異端審問が勃発し、国中のクリスチャンは散らされ、世界へと信仰は広がっていった。既にサタンは初期の教会に忍びこんでいた(※Ⅰヨハネ2章18節、使徒15章1節、ガリラヤ1章6-10節)。

紀元後337年、悪魔はその偉大なる偽のクリスチャンの教会を、コンスタンチヌス大帝の治世下のローマに設置した。
メモ:コンスタンチヌスは決してクリスチャンではなかった。彼は死に際まで秘かに太陽神を拝んでいた。

サタンはローマカトリック組織を利用し、異端審問を行い、本当の信者とキリストの教えを一掃しようとした。

真の教会は死から逃れるため、山の中に隠れていた。


審問官達:「神の名においてこれらの悪魔達を殺せ!」

ユダヤ人がしていたように、エルサレムの神殿で動物の犠牲を捧げる代わりに、サタンは“ミサ”と呼ばれる、新しくて不敬な、より危険な犠牲の形を定めて置いた。

ローマカトリック信者は、世界単位で1日に20万回以上何度も繰り返して、正にキリストの体を犠牲として捧げているのだと主張する。

何と冒涜的なことだろう・・・彼らはミサをするたびに、キリストを天から引きずり降ろしていると言っているのだ。

これは多くのプロテスタントが信じるよう促されている主の聖餐ではない・・・それはサタンの恐ろしい模倣なのだ。

このサタン的な発明は紀元後394年に公式のものになった。エルサレムではなく、ローマの巨大なカトリックの神殿において。


ティム:「リベラ博士、もしサタンがユダによって弟子の間に忍び込み、それから初代教会の中に忍びこんで行ったとしたら・・・何世紀も後の今日、潜入はどれ位ひどくなっているのでしょうか?」

リベラ:「君にそのことを話したら、きっと気分が悪くなるだろう!」

リベラ:「聖書は私達に、こっそりと忍びこんでいる偽の使徒(※1)や潜伏者(※2)、また狼(※3)に気をつけよと警告してくれている。しかし説教者達がこの問題について説教しなくなってきているので・・・」

「クリスチャン達はそのことは今日に当てはまらないとして見ているのだ。何故そうしなければならないのか?全ての人間は全ての人間を愛さなくてもよいのか?特にこの20世紀においては?・・・それでクリスチャン達は心地よい眠りに陥ってしまっているのだ。」
(※1 Ⅱペテロ2章1節、※2 ユダ4章、※3 使徒20章29節)


しかしサタンは眠っていたわけではない。彼の人々は静かに何年もの間教会に忍び込んできた。

メーソン、魔女、ホモセクシャル等々。全てクリスチャンのふりをしていた。

それから教皇は彼の兵士を、その働きを止めるようプロテスタントの教会に送りこんだ。

彼らはイエズス会、カトリックユースアクション、レギオンオフメリーに属しており、また普通の人と変わらない服装をしている司祭と尼僧のスパイである。

彼らは講壇から説き、私達にローマカトリック制度はクリスチャンの教会だと教えている。そのせいでほとんど全てのプロテスタント信者が、それを本当のこととして信じるまでになっている!」


リベラ:「ローマ教皇がアメリカ合衆国に力と栄誉をもって来訪することができたり、偉大な伝道者として賛辞をもって迎えられたりするのも、この偉大な福音の敵が、バプテスト派の大統領によって、8億ものローマカトリック信者の精神的なリーダーでありトップとしての全名誉を与えられて、ホワイトハウスに迎えられたりする時・・・」


リベラ:「また、この大統領が教皇がアメリカを祝福してくれるよう促している時に・・・

人はこのゲームがほとんど終っていることに気づくのだ。彼が訪問することについて、唯一はっきりと反対する声は無神論者から出たのだ。私達の(クリスチャンの)信仰の偉大な守り手は沈黙していたのだ。」


偉大な“信仰の守り手”の何人かはバチカンへ行き、教皇と対話するために会いに行こうとしていたこと、さらに彼の祝福を受けようとさえしていたことは驚くべきことだ。

何と恥ずべきことだろう!彼らの宗派の創設者が、彼らが福音から逸れて遠く離れて行ってしまったことを知ったのなら、激怒したことだろう。


https://lostsheep019.hatenablog.com/entry/38960072









東京大空襲 朝鮮戦争 ケネディ暗殺 旭日大綬章を授与

2020-03-12 18:51:46 | 天使と悪魔


 ドイツのドレスデンを空爆した翌月、アメリカ軍は1945年3月9日から10日にかけて、東京の下町、深川、城東、浅草などを焼夷弾で焼き尽くした。

この爆撃で7万5000人から20万人の非戦闘員が殺されたと言われている。


 投下された焼夷弾の中には38個の小爆弾が収納されていて、高度610メートル付近で子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後に焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組みになっている。


 東京空襲を指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ

この軍人は原爆を投下する ? 都市の選定にも加わっていた。朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。


 ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務め、50年6月に始められた朝鮮戦争で朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊して多くの市民を殺害。


ルメイ自身、3年間に朝鮮半島の人口の20%にあたる人を殺したと認めている。


 朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年にルメイを含むアメリカ軍の好戦派はソ連を核攻撃する作戦を立てた。

アメリカに存在した核爆弾の数は無視したもので、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、? 118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。

 
 その2年後にSACは​核攻撃計画に関する報告書​をまとめている。

それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。

軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだ。この当時もSACの司令官はルメイ。


 この計画ではソ連の主要都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。


 日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていた可能性は高い。


1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行されて基地化が強引に進められた。

土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。

沖縄の基地化はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていたと考えるべきだろう。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。


 ドイツ軍は1941年6月にソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。

このソ連侵略でアドルフ・ヒトラーは西の守りを無視して約300万人を投入した。

西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)


 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。
生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。東部戦線での敗北は戦争自体の敗北も意味していた。


 ドイツ軍がソ連侵略に失敗したのを見てイギリスやアメリカは慌てて動き始める。

その年の5月に両国はワシントンDCで会談、ドイツに対する軍事作戦を作成した。

7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸している。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。


 ドイツ軍がソ連軍との戦いに敗れると、ナチス親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。ダレスは当時、戦時情報機関OSSの幹部だったが、ドイツの巨大資本と連携していたウォール街の弁護士という側面も持っていた。


 1944年になるとダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触しはじめたが、その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。大戦後に極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる人物だ。


 その後、ウォール街の住人たちがナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。

ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死すると、こうしたウォール街の住人がホワイトハウスで主導権を握ることになる。


 1945年5月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。

その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)


 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われて成功。


 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年に​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。


 ルメイたち好戦派が目論む計画の障害になる人物が1961年に登場する。ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任したのだ。

ケネディは1963年6月、アメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えている。

ケネディ大統領が暗殺されたのはその5カ月後のことだった。


日本政府がルメイに「勲一等旭日大綬章」を授与したのは暗殺の翌年のことである。


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003110000/










日本を殺し沖縄を認めない明治ニツポンの正体 沖縄のユダヤ文化

2019-08-20 20:15:14 | 天使と悪魔



〇「沖縄の人々を先住民族と認めるように」国連が勧告

 政府「アイヌ以外に存在しない」


https://twitter.com/honest_kuroki/status/769904111391154177






〇 「沖縄の人々を先住民族と認めるように」 国連が勧告 政府「アイヌ以外に存在しない」



国連は日本政府に対して2008年10月以降、沖縄の人々を先住民族と認めるよう複数回にわたって勧告している。



これ関して木原誠二外務副大臣は4月27日、衆院内閣委員会で




「事実上の撤回や修正をするよう働きかけていきたい」と述べ、国連の勧告に応じない方針を示した。




国連の人種差別撤廃委員会などは2008年10月以降、日本政府に沖縄の人々を先住民族と認めるよう、複数回にわたって勧告している。



これ関して木原誠二外務副大臣は4月27日、衆院内閣委員会で「事実上の撤回や修正をするよう働きかけていきたい」と述べ、国連の勧告に応じない方針を示した。宮崎政久氏(自民)の質問に答えた。



これまでに国連の人種差別撤廃委員会などは、



沖縄の人々を先住民族として認め、土地や天然資源に対する権利を保障するよう日本政府に法改正を求めている。




2014年8月には「沖縄の人々は先住民族」として、その権利を保護するよう勧告する「最終見解」を採択した。




https://www.huffingtonpost.jp/2016/04/27/united-nation-okinawa-native_n_9791804.html







〇 沖縄


ニライカナイ信仰


沖縄には、ニライカナイという言葉がある。このニライカナイとは、遠い海の彼方に、理想郷の神の国があるという信仰である。



また沖縄の各地で行なわれる祭事や儀礼に登場する神は、殆どが来訪神である。



定説はないと言われているニライカナイの語源について、一説を提案したいと思う。




「根屋(ニルヤ)」と「金屋(カナヤ)」の「屋」を、聖書の神の「ヤハウェ」の「ヤ」と置き換えてみることである。


しばしば「ヤハウェ」は、短縮して「ヤ」「ヤー」「ヤハ」と使われる。



また「カナ」を、ヤハウェがイスラエル民族に与えた約束の地、カナンのことだと解釈すると、ニライカナイは「ニルヤ・カナヤ」となり、その意味は、「ニルヤ=根元なるヤハウェ」、「カナヤ=カナンのヤハウェ」となる。



また聖書の記述にも、ニライカナイにつながったと思われる思想や表現がある。



イスラエルの偉大なリーダーとなるモーセが、初めてヤハウェと出会い、その声を聞いたとき、ヤハウェはモーセに、以下のように自己紹介している。




「神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。「わたしはある」という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。』」(出エジプト3:14)




この「わたしはある。わたしはあるという者だ」という言葉は、「わたしは、全ての存在の根源だ」という意味である。



つまりヤハウェは、「根元なるヤハウェ=ニルヤ」なのである。



「はるか遠い海の彼方の神の国、満ち足りた国、根元の国」というニライカナイ信仰にも、ぴったりとあてはまるのである。




また、イスラエル民族が、エジプトを脱出した後に導かれて行く約束の地、カナンのことを、以下のように表現している。


「それゆえ、わたし(ヤハウェ)は降って行き、エジプト人の手から彼ら(イスラエル民族)を救い出し、この国(エジプト)から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地(へ)……彼らを導き上る。」(出エジプト3:8)



ここでの「乳と蜜の流れる土地」とは、「豊かに、繁栄した土地」という意味である。



聖書の「約束の地、カナン」とは、ニライカナイ信仰と同じ様に「満ち足りた国」のことなのである。



https://ameblo.jp/eekiy5rm2zukeyama/






















映画 「太陽がほしい」  公開するのが 私の責任

2019-08-13 16:51:01 | 天使と悪魔








8.10 「日本社会に公開するのが私の果たすべき責任」:


映画『太陽がほしい』で語られた、知られざる中国人被害女性たちの歴史


8月10日(日)、 東京のアップリンク渋谷では中国の班忠義(バン・チュンイ)監督によるドキュメンタリー映画『太陽がほしい〈劇場版〉』が上映されていた。


日本ではあまり知られていないが、第二次世界大戦中の中国では数多くの女性が日本軍兵士による性暴力の被害を受けた。


班監督の映画はまさにこの歴史を扱っている。


性暴力の被害者や旧日本兵の証言をもとに製作されたこのインディペンデント映画は、


「慰安婦問題」をめぐる日本国内の議論を反映している。



上映後は班監督と政治学者の中野晃一氏(上智大学教授)によるトークショーやサイン会、そして観客と交流の場が設けられた。




タイトルの意味と中国人女性たちが「私は慰安婦ではない」と言う理由



班監督がこの歴史的事件の存在を知ったのは1992年のことだった。


「日本の戦後補償に関する国際公聴会」がテレビで放送されており、参加していた中国人女性が急に気絶したのだ。


後の調べによると、女性の名前は万愛花だった。


彼女は公聴会に元「慰安婦」として参加していたものの、「私は慰安婦ではない」と繰り返し証言の中で強調していた。




どうして被害女性らは自らを「慰安婦」として呼ばないのか(映画のタイトルはこの点と関係している)。


監督はその理由を次のように語った。



「20年余りに及ぶ調査・支援活動で、私は100名ほどの女性たちの元を訪問した。


被害女性は北朝鮮半島出身の方が十数名、中国籍の方が80数名で、その中で慰安所に入れられた経験を持つ中国籍の女性は2名だけでした。


そのほかの80数名の中国籍の女性たちが被害にあったのは、地域こそ異なるものの、いずれも慰安所が密集する都会ではなく、山西省の小さな農村でした。


被害にあった場所もいわゆる「慰安所」ではなく、日本軍駐屯地や民家でした。



彼女たちのほとんどは家から強制連行され、普通の民家に監禁、外から施錠され、用を足す時にだけ、門番の監視のもと外に出ることができました。


「太陽が欲しい」という映画のタイトルは、当時の彼女たちが発した心からの叫びです。




日本で語られる「慰安婦」の実態とかけ離れた、このような被害の形が、中国における戦時性暴力の特徴で、その被害者数は慰安所に入られていた「慰安婦」より多かったと考えられています。


これらの事実から、中国人被害女性たちは「私は慰安婦ではない」と長年訴え続けているのです。」









中国人被害女性たちのその後



映画によれば、被害女性の多くは強烈な身体的、精神的暴力により、体調や精神に異常をきたしていたものの、一切の補償を受けられなかった。


被害者はおろか、映画撮影のために証言を残してくれた人も殆どこの世にいない。


さらに、被害女性らの話によれば、中国政府は賠償問題を提起することすら検討していない。


日本では、被害女性らの歴史を振り返る集会が定期的に開催されているが、この歴史について大半の日本人は依然として何も知らないままだ。





映画の主なメッセージ



戦時中、こうした犠牲は中国のみならず、東南アジアの各地でも発生したと監督は考えている。



監督によれば、「このような事実を矮小化し、抹消しようとすることは日本と中国、東南アジアの国々にとって、不幸な歴史をより不幸にさせるものだ」。




また、監督はこうも語っている。


「生前、彼女たちが力を絞って私に託してくれた証言と、そこで示された事実を映画として広く日本社会に公開することが、私の果たすべき責任だと思っています。



本作の公開を通し、今を生きる日本の人々によって、被害女性たちの歩んだ苦難の人生に、慈愛に満ちたあたたかな光があてられることを願っています」。









映画の来場客と上映後のトークショー



定員45人の上映ホールは満席だった。



もちろん、席数が多いとは決して言えない。


しかし、休日の過ごし方はいくらでもあったろうに、休日の朝10時に始まった上映会は満席だった。



これほど辛い歴史を扱った映画を見ることを選んだ人がそれだけいるということからも、映画に対する関心の高さがうかがえる。



来場者は年配の女性が大半だった。



主催者側によれば、アップリンク渋谷で行われた『太陽がほしい』の上映会はいずれも満席だったことから、当初は2週間限定だったところを延長して上映している。




実に和やかで開放的な雰囲気の中、中野教授と班監督は映画について25分ほど語り合った。



上映後、観客らは一列に並んで監督の著書を購入した。



そしてサイン会が始まり、短いとはいえ交流する時間も用意された。




昨今の日本社会を取り巻く慰安婦問題



名古屋市を中心に愛知県で開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」は、開幕からわずか3日で「表現の不自由展・その後」の中止を余儀なくされた。



異例の事態を呼んだ最大の原因は、彫刻家の夫婦キム・ウンソン、キム・ソギョン両氏が元従軍慰安婦をテーマに製作した「平和の少女像」の展示だった。



実行委員会の会長を務める大村秀章・同県知事は組織側に脅迫行為が相次いだことを「表現の不自由展」中止の理由として挙げている。


脅迫の中には、京都アニメーションの放火殺人事件を彷彿とさせるようなメッセージも見られた。



展示中止公表当日の8月3日(土)から8月5日(月)までに「週刊文春デジタル」が810人を対象に行った調査によると、


「『慰安婦』少女像の展示に賛成ですか? 反対ですか?」という質問に対し、74.9%の人が 「反対」と答えた。


スプートニクは同様のアンケート調査を実施した。アンケート結果はこのページでも確認できる。







ガーター騎士団偽証日本は 領土でいやがらせ プーチンを追い込む役目

2019-08-09 19:44:54 | 天使と悪魔



☆ 大英帝国の 植民地 明治からの天皇と 仲間は


ロシア転覆のために 領土「問題」で いちゃもんをつける。


もともと ヤクザだ。


ロシア人の 心を 傷つけ プーチンに 矛先が 向かうように 仕向ける。
 




8.9 東京2020の聖火リレー地図で南クリル諸島が日本領として表記








村上春樹 「騎士団長殺し」

2019-07-17 18:22:04 | 天使と悪魔



村上春樹『騎士団長殺し』は 安倍晋三らの歴史修正主義と対決する小説だった!



南京虐殺の生々しい描写!


第二次世界大戦の大虐殺!


奇妙なことがある。これだけ売れているにもかかわらず、

マスコミでは『騎士団長殺し』の内容や主題についての言及がほとんどないのだ。



いつもなら、村上春樹の長編が発表されれば、謎解き合戦が繰り広げられる。


今回も発売前にタイトルが発表されただけの段階で、「『騎士団長殺し』というタイトルだから、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』が関係しているのではないか」というようなハルキストの推測を放送していたテレビもあった。



それなのに『騎士団長殺し』が発売されたとたん、新聞やテレビはこの小説のことを大きく扱わなくなった。





それどころか、この小説の核心部分に触れた論評はいまのところ、文芸誌の批評なども含めてほとんど皆無に近い。



いったいなぜか。それはおそらく、その核心部分が、歴史修正主義との対決にあるからだろう。




実は、『騎士団長殺し』はすでに、ネトウヨたちから「南京大虐殺を認める記述がある」と攻撃を受けていた。


たとえば、発売直後に百田尚樹はこんなツイートをしていた。




〈村上春樹氏の新刊『騎士団長殺し』の中に、「日本軍は南京で大虐殺をした」という文章があるらしい。


これでまた彼の本は中国でベストセラーになるね。




中国は日本の誇る大作家も「南京大虐殺」を認めているということを世界に広めるためにも、村上氏にノーベル賞を取らせようと応援するかもしれない。〉




また、ヘイト団体・在特会の元会長でレイシストの桜井誠も同じくツイッターでこう書いていた。




〈村上春樹が「日本軍は捕虜管理能力がなかったから、降伏した敵兵や市民を虐殺した」と最新刊『騎士団長殺し』で記述しています。


フィクションではありますが、このような事実と違う表現を文章に書けば村上信者がどう受け止めるか誰にでも分かります。本当にこの輩は日本人なのか疑ってしまいます。〉





これらのツイートを読んだ当初、筆者は「また頭の悪いネトウヨたちが本もまともに読まず、一部の記述を抜き出して脊髄反射的なヒステリーを起こしている」と思っていた。



実際、両者のツイートが指摘している箇所は、登場人物の一人が南京事件を解説しているだけのほんの十行たらずの箇所にすぎず、

しかも、その解説は「正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが」ときちんと注釈のついた至極まっとうなものだった。



逆に、百田や桜井の村上批判は、保守派の学者さえ相手にしない「南京虐殺まぼろし論」であり、一顧だに値しない。



しかし、連中の主張のトンデモぶりはともかく、その警戒感は正しかった。



『騎士団長殺し』をきちんと読んでみると、先の戦争における加害責任を指摘しているのはこのシーンだけではなかった。


それどころか、作品全体に、戦争という負の歴史に向き合い、安倍政権的な歴史修正主義と対決する姿勢が貫かれていたのだ。



もちろん村上春樹の小説だから物語は多層的であり、それこそ百田尚樹の『カエルの楽園』のような、自分の言いたいことをカエルたちにしゃべらせるだけのプロパガンダ小説とはまったくちがう。



この小説から受け取ることのできるメッセージや問題提起は多岐にわたっている。


それでもあえて言うが、歴史修正主義批判はこの小説の最も重要なテーマとなっている。




妻から離婚を切り出され家を出た肖像画家の主人公〈私〉は、美大時代の友人である雨田政彦からの提案で、彼の父であり著名な日本画家の雨田具彦が使っていたアトリエに、仮住まいすることに。



そのアトリエの屋根裏部屋で主人公は、一枚の絵を発見する。



『騎士団長殺し』と題されたその絵は、傑作といってもいい力をもった作品だが、公にはその存在を知られない未発表作品だった。


絵の発見を契機に、主人公に不思議な出来事がいくつも起きる......。




『騎士団長殺し』は人殺しの場面を描いており、絵のなかの5人の人物は飛鳥時代の服を着ていて、若い男が年老いた男の胸に剣を突き立てている。


さらに、それを見て悲鳴をあげる若い女性、片手に帳面をもった若い男性、地面から顔をのぞかせる顔のながい男が描かれていた。




〈それは息を呑むばかりに暴力的な絵だった〉。


しかし、〈私〉の知るかぎり、雨田具彦が描く絵はノスタルジアをかきたてるような、穏やかで平和的なものであることが多く、こんな暴力的な絵画を描いたことはなかった。




すると、そこに第二次世界大戦における2つの戦争体験が大きく影響していることがわかってくる。



ひとつめはナチス抵抗運動への参加と挫折だ。


戦後、日本画家として大成した雨田具彦だが、戦前は将来を嘱望された洋画家で、ウィーンに留学していた。



しかし、そのさなかに、オーストリアはナチス・ドイツに併合され、ヒトラーの暴力支配がどんどん激しくなっていったことから、雨田は学生たちが組織した反ナチ地下抵抗運動に参加。



仲間とともにナチス高官暗殺を計画する。


しかし、計画は未遂に終わり、関わったものは次々とゲシュタポに逮捕され、処刑されてしまう。


雨田のオーストリア人の恋人も強制収容所に送られてしまう。



しかし、雨田だけはただひとり生き残った。日本に強制送還されたのだ。


その後、雨田は郷里の熊本で隠遁生活を送り、戦後、日本画家として再デビューを果たすのだが、その頃に描いたと思われるのが『騎士団長殺し』の絵だった。




このことを知った主人公〈私〉は、『騎士団長殺し』がナチス高官暗殺未遂事件を、日本の飛鳥時代に設定を移し替えて描いたのだと推察する。



暗殺を成し遂げられずヒトラーの蛮行を止められなかった悔恨と、自分だけ生き残ってしまった罪悪感が、この絵を描かせた、と。




しかし、さらに『騎士団長殺し』の謎を追いかけていく過程で、〈私〉はもうひとつの戦争体験にぶちあたる。



それは、雨田具彦がナチス暗殺未遂事件を起こすわずか数カ月前、具彦の弟・継彦が体験した南京大虐殺だった。



ピアニストを目指していた継彦だが、徴兵され南京攻略戦に参加し、殺戮を強制された壮絶な体験がトラウマとなり帰還後、自殺したのだった。


そして、この弟の自殺が雨田を反ナチの運動に駆り立てたのではないか、という推理も作中で紹介される。




百田たちが村上をディスっていた記述は、継彦が自殺していたことを教えてくれた人物がその理由を語る前に、〈南京大虐殺〉について説明する部分だ。




〈「いわゆる南京大虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。

戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。


日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市内の大方を殺害してしまいました。



正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。



中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。

しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」〉




しかし、実を言うと、村上はこの作品でもっと生々しく南京での虐殺を描いている。それは、継彦の甥である雨田政彦が語る継彦の捕虜惨殺のシーンだ。



〈叔父(=継彦)は上官の将校に軍刀を渡され、捕虜の首を切らされた。


(略)帝国陸軍にあっては、上官の命令は即ち天皇陛下の命令だからな。


叔父は震える手でなんとか刀を振るったが、力がある方じゃないし、おまけに大量生産の安物の軍刀だ。人間の首がそんな簡単にすっぱり切り落とせるわけがない。



うまくとどめは刺せないし、あたりは血だらけになるし、捕虜は苦痛のためにのたうちまわるし、実に悲惨な光景が展開されることになった。〉




〈叔父(=継彦)はそのあとで吐いた。吐くものが胃の中になくなって胃液を吐いて、胃液もなくなると空気を吐いた。(略)上官に軍靴で腹を思い切り蹴飛ばされた。(略)結局彼は全部で三度も捕虜の首を切らされたんだ。練習のために、馴れるまでそれをやらされた。〉





しかも、ここで描かれているのは、加害者になることの悲劇だ。




雨田具彦も弟・継彦も戦争に深く傷つけられ大きく人生を変えられた。


しかし作中、具彦のことも、継彦のことも、戦争の「被害者」という立場だけにとどめることはしない。 



それは、継彦の手による殺戮について、継彦の甥である友人・雨田政彦が


〈「(叔父は)ショパンとドビュッシーを美しく弾くために生まれてきた男だ。人の首を刎ねるために生まれてきた人間じゃない」〉




〈いったん軍隊みたいな暴力的なシステムの中に放り込まれ、上官から命令を与えられたら、


どんなに筋の通らない命令であれ、非人間的な命令であれ、それに対してはっきりノーと言えるほどおれは強くないかもしれない〉と同情的な姿勢を示したときの反応によく表れている。




〈私〉は、〈「人の首を刎ねるために生まれてきた人間が、どこかにいるのか?」〉と反論し、〈私は自分自身について考えてみた。


もし同じような状況に置かれたら、私はどのように行動するだろう?〉と自らに問いかけるのだ。




雨田具彦についても同様だ。


ナチスに抵抗しようとした勇敢な日本人がいた、というような書き方はしない。


恋人もふくむ同志たちは全員殺害されたが、雨田具彦だけは日本とナチス・ドイツの同盟関係のおかげで生き残った。


日本に強制送還されたことは、実質は「救出」だと繰り返し指摘する。




それ以外にも、この作品では、日本とナチス・ドイツの同盟関係が繰り返し指摘されている。




〈その一年半ほど前に日独防共協定が結ばれたばかりで、日本とナチス・ドイツとの結びつきは日を追って強くなっていきました〉


〈一九三六年十一月には日独防共協定が成立し、その結果日本とドイツは歴然とした同盟関係に入っていきます〉


〈ミュンヘン会談でとりあえず戦争は避けられたが、ベルリンと東京の枢軸は強化され、世界はますます危険な方向に向かっていった〉





「日本はナチスほど悪いことをしたわけではない」などと思い込んでいる人も少なくない。

若い世代になると日本とナチスが同盟を結んでいたことすら知らない人も多い。





しかし春樹は、戦争責任について国内でいつも議論の対象となるのはアジアへの侵略だけでなく、もっと俯瞰してナチスへの日本の加担もふくめて、その責任を問うているのだ。



しかも、それは結果的にそういった要素が盛り込まれたわけではない。


この戦争での加害に対する責任こそが、『騎士団長殺し』という作品の大きな執筆動機のひとつだった。



肖像画家である主人公の〈私〉の制作プロセスは、春樹自身の創作論、春樹論の表明でもあるというのは、「歴史修正主義との対決」という核心には触れない評論家たちも共通して指摘している。


だとしたら、雨田具彦はなぜ『騎士団長殺し』を描いたのか。そして村上春樹はなぜ『騎士団長殺し』という小説を書いたのか。




自分の犯した加害を忘れるな。自分の犯した加害から目をそらすな。


これがその答えだろう。




さらに言えば、今回、春樹作品としてはじめて主人公が子どもをもつことが話題になっているが、

これはその加害の責任を、社会の子どもとして、雨田具彦ら前世代から引き継ぎ次世代へと渡していくということも示唆しているのではないか。




春樹はこの数年、ずっと歴史修正主義の問題と向き合い、度々戦争責任について言及してきた。


そして、『騎士団長殺し』発売後のインタビューでも、


「小説家として」歴史修正主義と闘っていくことを宣言していた。




http://news.livedoor.com/article/detail/13060074/


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