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「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

田布施のタブー

2017-01-19 15:12:22 | 田布施族 朝鮮半島  


平成八つ墓村: 田布施のタブーにふれ、殺されかけた山口連続殺人犯









あー、8月9日号の週刊朝日「平成の「八つ墓村」事件」のタイトルにひかれて買ったものの、期待は大はずれ!村人のイジメなどのことはほとんどなく、いかに「村の内と外」とで極端に性格が変わってしまうか。

「ジキルとハイド」の二面性をもった異常な性格の犯人であることを村人へのインタビューで立証していくのだ。


(あんなイジメを村で受けてたら、村の中ではピリピリしてて、村の外へ出たらホッとして日頃のやさしい性格に戻るよな)
 

もちろん田布施システムや角田(李)美代子らがやったような、村人が常時監視し嫌がらせをやったか、その村八分状態についてはあまり書かれてなかった。



 下記にこの事件で一般に言われている嫌がらせの例を参考に上げておく。

●村おこしを反対される ●自宅を放火される ●集会で胸を刺される

●先祖の墓が倒される ●退職金を村人に配るよう強要される

●村の雑用を全て任される●自腹で買った草刈り機を燃やされる

●隣で稲藁を燃やして家が煙だらけ●家周辺に窓から家の中に入る様に農薬を撒かれる

●保見の愛犬が、保見が森から発見された一分後に殺される。









ただ新たに知りえた点は、両親は籠売りの行商をやってた、ということ。
 (エタの中でも茶筅で千利休のような竹を扱うサンカか?)
 

また村の外の人に珍しく愚痴ることがあって、さらに詳しく尋ねると「家のカレーに農薬を入れられた。」と言っており、これって嫌がらせじゃなく、保見容疑者は逆に村人から殺されかけた、という事だ!

(これだと誰だって家に監視カメラをつけて、村の中では険悪な状態になるわなー)
※ちなみにこの事件の裁判の初公判は2015年6月15日の予定。




山口・周南市連続殺人事件で
保見容疑者が村八分にされたタブー
田布施システム

 

さて山口・周南市連続殺人事件を初めて知ったとき、私は、この犯人の保見光成容疑者は村のタブーに触れてしまい、村八分にされ、いじめられたのだな、と思った。
(参考 山口県周南市・連続殺人事件まとめ)



ただマスコミはその原因は曖昧にして、もっぱら住民側の意見を聞き、肝心の村八分のいじめのそもそもの発端が何だったのかは追及せずじまいで、何かを隠していることがミエミエなのだ。



 こんな時はグーグルで検索して調べていくしかない。そうしているうちに、とんでもないことが段々とわかってきたのだった。




 まずなぜこの保見は村八分にされたのか?
(参考 【山口・5人殺害】 「死にきれなかった」 山中に逃げていた保見光成容疑者、逮捕★2)


51 :名無しさん@13周年 :2013/07/26(金) 13:58:37.16 ID:LtALIL0N0
659 6 名前: 急所攻撃(チベット自治区) Mail: 投稿日: 2013/07/26(金) 13:15:39.73 ID: CBj2pv8Y0
http://www.geocities.jp/astpa693/s10.html


かつを氏子どころか本家かな
たしか名前保見かつをだったろ
明治以前に出来た神社だから村でかなり深い因縁と対立残してるはず
対立してたのは白山穂河神社の宮司とそのシンパかな




 そしてそこで引用されていた
山口県 周南市金峯朴 白山穂河神社合祀

 


なんとそこに容疑者の父親もしくは親族なのか、「保見総昭氏」の説明があったのだ。
狭い田舎のことだから、その保見氏の一族がその近辺の土地を支配していたことが窺がえる。







明治維新後、村人達が敬う新しい高句麗系の白山穂河神社








保見氏が宮司だった百済系の由緒ある古い柿本神社だったにも関わらず滅ぼされていた。 




明治天皇を摩り替えられた秘密を握る徳川幕府の孝明天皇側(福島会津側?)



県道9号徳山徳地線、朴の奥畑川傍にある。



もと下奥畑の山中にあった柿本神社を一時合祀していたが、昭和初期、地元住民の願いで下奥畑の河内神社に遷したという。しかし当神社ではその後も配祀神として人丸神を祀っている。


旧神社跡は、保見総昭氏宅の背戸山にあった(北緯34度12分01秒、東経131度53分20秒)。

保見氏は「明治末期の神社整理で廃社となり、御神体は白山穂河神社(金峯朴)に合祀された。しかし昭和8年頃、奥畑住民の願いでこの先の河内神社(下奥畑)に移した。御神体は石に彫った人丸さまである」と話された。




裏山の山頂近くで、倒壊した石鳥居(明治32年8月建立)と「柿本神社」とある額束(約1尺×2尺の大きさで雲形縁取りのある御影石製)が半ば埋まり、社祠基壇の石囲い残っているのを確認した。

 
このことから、元々、保見氏は「柿本神社」の朝鮮 百済から来た、柿本人麻呂の一族だったが、明治維新後、新しい朴と名づけられた土地に「白山穂河神社」を敬う別の朝鮮の高句麗の人達の支配に移されてしまったのだ。


このような事は、高杉晋作らの奇兵隊に騙された、と訴えていた石城山の麓の三国志城博物館での話でもわかった。(百済は中国・仏教と密接に関係)

 


どうもネットではなかば常識化している、明治維新での長州5による孝明天皇を殺し、欧米と結託し、現在の日本を覆う、田布施システムの秘密と大いに関係しているのでは、と推認されてくるのだ。

 


この田布施システムの基本原理として、その徳川幕府側の天皇である孝明天皇の百済王朝を中心にした天皇エタの人たちを弾圧して、明治天皇すり替えの秘密を暴露しないよう、新しく朝鮮からの移民の人達にも居住の条件として、その幕府側の人達を監視させる、という仕組みがあったのではないだろうか。
 



これは現在の宮家を中心にした官僚システムである、明治維新後の天皇エタの守り人たちに連綿と受け継がれ、現代にいたっているのだ。




実はその仕組みは明治維新後に杵築大社を出雲大社に作り変えた歴史を見てもわかるように、古代史においても、出雲神族を国譲りの後、監視役として派遣した天孫族(現在の北島・千家)の歴史にも通じるものがあるのだ。


それはあの司馬遷太郎も「生きている出雲王朝」で書いていた。

 


この仕組みがあるために、現在でも元柏市議会議員の小川達夫さんのような、戸籍書き換え事件が起こり朝鮮の人達がはいりこんできたり、その仕組みを変えようとした小沢一郎氏への弾圧事件が起きたりするのだ。


このことについては、小沢一郎氏自身が官僚の宮家中心の人事自体を批判しているのだった。











この明治維新の秘密をばらされないために、元々、このように旧天皇エタの人達を新天皇エタの人達は村の掟である、タブーの暴露を犯さないように監視し差別し、少しでもそれにつながりそうなことがあれば、村八分というきびしい差別を行ってきたのではあるまいか?


例えば、村の存在をアピールするような「村おこし」をやられたら、この村が明治維新以来、守ってきた田布施村の秘密が漏れる事態にも発展しかねないのである。
 


よってこの「村おこし」そのものが否定され、山口の田布施村の周辺の村人達はひっそりと暮らしていかざるを得ない村の掟があるのだった。

 

このことからすると、「部落差別」とは南朝側天皇エタの人達が北朝側天皇エタの人達を差別する、と言う、「南北朝の心理戦争」の側面もあったように思われる。
 

http://rakusen.exblog.jp/20861026/





天皇すり替え

https://youtu.be/igJ12gwRtvQ?list=PL_OeR76Z0OivfeD3qDXB5ymi6teXTmU1g






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