八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

戦争中のこと

2010年07月16日 13時48分51秒 | Weblog
画像は昨年11月にも載せたもの。「かあぁらあぁすぅなぜぇ泣くぅのおぉぉ」は、認知症の義母が、適当に作って歌ったものと思っていた。よくよく観察してみると、義母が30才前後の、終戦間際の頃の、自分のことが頭に浮かんでいるのかもしれない。戦争末期は、東京は空襲があり、焼け野原、義母の姉のところえ、疎開してきたころのようだ。当時、食べる物がなく、義母の嫁入りに、持参した着物を売って、米を買ったようだ。そのころ汽車に乗り、「なんとか屋敷」というお金持ちの家に行き、着物を買ってもらい、そのお金で近在の農家で、米を買い求める。「早あぁぁやく帰ってやぁぁれえぇぇよぉぉ」ってゆうのは、買った米を手にぶら下げ、夕暮れの川添えの道を、家路へ急いだ。父親は、ひとりの娘を背負い、もうひとりの娘の手をひいて、妻を待っている。遠くに、娘らが、母親の姿をみつけ、嬉し声で呼ぶ。戦時中なので、汽車の中で、臨検があり、隠していても、米を持っていると、没収されてしまったこともあったようだ。こんな苦労をして、子どもを守って育てた状景が、認知症の頭の中によみがえっているのかも知れない。--続く--
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