八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

やぶれわらじ

2021年04月22日 16時15分52秒 | Weblog

前回、修行大師像を載せた。先日の写経会の時、お参りをしたら、大師像の足元に、やぶれわらじが、添えられていた。なるほどなるほどと、「禅語百選」の中に、「破草鞋」があるのを、思い出した。修行には、わらじを履いて歩く。その時は、知識も必要になる。知識は、新しいものが、必要になる。履いて歩いた草鞋は、破れる。破れた草鞋は、洗い流して、きれいにして、壁を作るときに、土と混ぜ合わせて使う。また、たい肥に使ったりした。わらじを新しくするように、知識も新しいものを、吸収をする。禅語のなかにある「破草鞋」は、もっともっと、深い意味があるのだろう。先月は、欠席したので、久しぶりの境内。桜は、葉桜になり始めていた。静寂の境内に、車の安全祈願の読経が、また、安産祈願の読経と太鼓が、響いていた。


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