画像は、先日の深夜の国道。深夜だから、行き交う車がないのが、当たり前。所用で仙台に走った。そんなに早くなくてもよかったのだが、目がさめてしまい、出発をしてしまった。一年前の災害の当時は、水をもらいに夜になっていくと、こんな状景だった。不気味に感じたのを、思いだした。東北道を走り、サ-ビスエリアには、災害ボランテアの車が休んでいた。いわきも、大震災の被害が大きい。それ以上に、放射線のことがあるが、心配はない。通常の生活する時間には、人の往来も、行き交う車も、以前より多いように思える。いわき地方は、気候的にも温暖で、住みやすい。先日も、避難していた知り合いが、お茶のみに寄った。「わあぁ、元気だったねぇ」って。「近くまできたから、寄ってみた」と、一年振りだ。また、別の知り合いが、10キロ圏内にあった工場が、岐阜の方へ、移転をして、妻と離れ離れになって、何か月振りに、合いに行ってきたと。妻から、土産をことずかったからと、とどけに来た。「妻も元気にしているよぉ」って。その知り合いは、仕事で、このいわきに居る。母親は、栃木に避難をしていたのだが、介護が必要になり、このいわきの施設に、入居させたとか。子どもと孫、妻は、岐阜の方にと、離れ離れになっている。以前の住居は荒れ放題のまま。壊れたところを修理するにも、工事をしてくれる人が、来てくれるのかとか。放射線は心配ないから、どうぞ、帰還をして良い言われても、住めないという。気の毒に思う。
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