画像は、東日本大震災と原発事故の報道の、福島民報より。あの日、11日は、バイパスを走行中で、激しい揺れで、停車。眼前で、地面がのたうち回って、沈下するのを見ていたはは急ぎ戻ることにして、渋滞に巻き込まれ、夕刻の戻った。すぐに水道水を確保。トイレ用に浴槽に貯水をした。隣組を回って、被害状況を確認。それぞれが驚きの事を話す。飲み水が無いと云うので、貯水したのを届ける。翌日は、別の家でトイレ用の水と云うので、届ける。12日の昼前には、200メートル先で、ガス爆発による火災が発生。急ぎ隣組に、ガスに注意と給水場所の、お知らせを、40枚ほどコピーをして配布して歩いた。原発は、どうなんてしょうと、聞かれても、解らない。テレビを見ているしか、しょうがないのでしょうと、答えるしかなかった。14日になると、すでに避難をして、留守になっている家もあった。15日の午前中は、市役所に行き、前日の午後からの、新しいお知らはと聞いて、こちらですと、並んでいたものから拾いだして、持ち帰り、仕事で使っていた印刷機と、コピー機を使い印刷をして、40部作製して、配布をしていた。その日の午後に、ハイエースのバンに、介護中のばあちゃんを車椅子のまま載せ、ポータブルトイレも介護用のマットレスも載せ、家族で避難をした。
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