画像は、閼伽井嶽薬師常福寺の、焼失前の全図を、建物の部分を、拡大したもの。図には、「 東京市浅草区茅町精行社銅版部製 」とある。添え書きには、「 この図版の原版は、赤銅に手彫りしたもので、平活版所が、社宝として現在まで所蔵をしていたもので、このたび赤井岳に」とある。お寺で、昨年、こうゆうものがあると、拝見できた。大きさは、幅が1メートルくらいあったと思う。ネツトを検索していたら、[ いわき総合図書館 企画展 平成二十八年度 ]、[ 新島襄が見た「いわき」その1 ]に、この図が、掲載されていた。その図に、[ 東京 浅草 精行社 発行資料 明治29 [1896]年とある。新島襄が、龍燈という怪奇現象が発生している閼伽井嶽薬師を、目指したが、烈しい風と雷雨にみまわれ、ふもとから、引き返したという。詳しくは、上記、企画展を、閲覧してください。
画像は、焼失前の、山門。昭和三十四年刊の[ 平市史 ]より。年表に、明治11年2月、赤井岳常福寺全焼とある。また、昭和八年にも、焼失したと、書いてあるのもある。ホームページを見ると、「 開山以来数度、山火事に遭い全山焼失す 」とある。
水替えをした時、「あれぇ、若葉がでている」と。先祖様からの、猫のひたいほどの所の、植木から、枝折って供えている。今の時期は、枝に勢いがあるのかも。榊は「栄える木」と、いわれている。神域に植えるもののようだ。数年前、先祖様の手造りの社が、朽ち果てた。知り合い宅に、手ごろなのがあるので、見せてもらった。設置費用、十数万円とのことだった。社そのものは、八万円で、組み立ては、素人でもできた。一応、先祖様を、粗末にしなかった。仕事をしていた時は、榊は、大束で四束が、頼んでおいたので、定期的に届いた。今は、枝折りして、取ってくる。水替えをしていると、長持ちする。夏場になると、ダメになるのが、早いかも。今のところ、榊を買う、年間、七、八千円の、出費はない。
画像は、先月、四月二十二日のもの。四月の写経会は、休み。三月の写経会の時、ジャンパーを置き忘れたのを、取にいった。ジャンパーはともかく、カメラのレンズカバーが、ポケットに入れておいた。このレンズカバーが、必要だった。境内は、桜が咲いていたが、薄曇りで、寒々しい風情だった。平日のこともあり、また、外出自粛でもあり、閑散としていた。例年ならば、参詣の人で、賑わいがある。寺務所の受付には、その日の六曜を知らせてある。その日の 祈祷の参考にする。六曜星の循環は、「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の、繰り返しになる。「先勝」は、太陰暦の、一月一日と、七月一日。二月一日と、八月一日は、「友引」。「先負」は、三月一日と、九月一日。「仏滅」は、四月一日と、十月一日。「大安」は、五月一日と、十一月一日。「赤口」は、六月一日と、十二月一日からになる。ちょっと前でしが、義兄弟夫婦六人で、参詣に行き、歳祝いや健康祈願など、六件祈祷をお願いをしたことがある。その時の受付の方に、「今日の六曜星は、赤口ですが」と、念を押された。六曜星のことは、理解していた。境内の桜とは、別のことになってしまった。今のこの世の中のことが、早く収まることを願い、多くの参詣人で、賑わう日を、待っている。