八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

いっぱい涙を

2018年02月15日 16時26分48秒 | Weblog

今日は、何が悲しいのが問いてみたが、べそ泣きをしていた。涙を一筋流して、また、べそ泣きをしていた。昨日からの続きなのか。昨日は、淋し気な顔で、おしゃべりをしていた。離れようとすると、寂しげな顔をする。椅子に腰を下ろすと、おしゃべりを始める。言葉は聞き取れない。断片的で分かるのは、ご飯を食べさせることのようだ。「まんま、食ぁせんだぁ」。「まんま、食ぁさせねっかなぁ」と、聞える。また、お金のことのようだ。「一銭も、ねぇんだぁ」。「お金、払うんだぁ」と、聞きとれる。貧困時代、三人の娘を育てたころを、脳裏に浮かんでいるようだ。怒り、喜び、悲しみを、心で感じると、顔の筋肉を、繊細に動かして、表情になるのだろう。前に載せた笑い顔は、愛嬌がいいというのだろう。いろいろの感情がある。まだまだ、生きてゆくのだろう。いっぱい涙を流し、笑い、怒りを、繰り返している。先日の「寅さん」の映画に、「幸せってなんだぁ」とあった。生きていることが、幸せかなぁ。

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