前掲の続き。バイパスをおり、一般道で帰路すると、渋滞、脇道を抜けようとすると、ブロック塀が倒れ、車線をふさぎ、電線が切れて、垂れ下がっていた。まずは、幹線路にむかい走ったが、ところどころで渋滞。晴れていた空は、一転暗雲になり、雪がふっかけてきた。約30分で、たどり着けるのが、1時間30分かかって帰着した。家の中は、倒れた家具はない。すぐに、水道から、水の確保、風呂のバスに、水道水を貯めた。ウインドウカラスが破損。社の者とかたずけ、家族の安否と、家の中の点検もあるだろうと、退社させた。余震のたびに、隣組のみまわりと、声を掛けて歩いた。テレビでは、大地震のことと、原発事故のことが、報じていた。不安になり、夜になったが、市役所に行ってみた。入口で、お知らせするものはないと。市役所も、外壁が崩れ、外に面したガラスが割れ散乱、床はめくれはがれていた。画像は、翌12日に隣組に配布をしたもの。大震災の長く続く深刻さも、原発事故の重大さも、その時はまだ、わからなかった。
大地震発生時は、車で走行中。バイパスの小高い平坦の所では、ハンドルが取られるなぁと思い、停車。地震かぁで、また、走りだした。長い下り坂にさしかかった時に、カーラジオが叫びだした。揺れがひどくなり、路側に停車。なだらかな長い下り坂、谷には、跨道橋がかかって、その先は、上りになっている。その小高い岡が、ぐぅぅっーと揺れ、左右に沈み、小高い岡全体が、沈み込んで、眼前に、迫ってきた。五度、六度とくりかえす様は、車が滑り落ちてしまうほどだった。跨道橋に立っている街路灯は、折れんばかりに上下左右に、激しく振りまわしていた。長い時間だったように思える。地震がおさまって、また、走り出した、その時は、眼前、7、800メートル間の道、バイパス上には、車は、一台も見えなかった。最初の揺れ初めの時に、退避したのかも。