八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

震災時に隣組に配布したもの

2011年05月06日 13時01分13秒 | Weblog
画像は、三月十二日と、十四日に、隣組にお知らせしたもの。いまどき、手書きとは、恥ずかしいと思う。町内会の防災会は、いろいろと検証すべきだと思うが、いまもって何の話しもない。町内会なんか、無用ではないかとさえ、思うようになっている。パソコン3台使っている。そのうち二台に、ドットプリンタ-が、三台つないでいる。このパソコンにはプリンタ-はない。いままで使っていたインクジェットは、次々に、不具合になり、結局三台駄目になった。現在物色中だ。手書きのお知らせは、今思うと、急ぎ走り書きして手渡したので、緊急性が感じられる。余震は四月11日以来、またまた、深夜に5弱の大きな余震に驚かされて、恐ろしく思う。これ以上の大きな余震は、ごめんこうむりたい。津波の被害は、いわき七浜も、テレビで報道されているのと、同じ状景だ。海沿いの、知り合いをたずねてみた、二階建てはかろうじてあったが、知り合いはいない。別の港に近いところは、形だけはあった。知り合いに会えなかった。この地の、今、問題の原発、原発建設から、事故までは、なにか、かにかと、多少の恩恵があったのかもしれない。年に一回、原子力発電給付金という名目かで、現金が振込まれてきている。ありがたいものだと、思っていた。しかし、原発の事故は、ことわざ通りに、「ただより高いものはない」って、なってしまった。原発から、20キロ圏内の、知り合いが、来た。避難を指示されて、避難をして、翌日に自宅にもどってみると、ガラスが破られ、めぼしいものは、無くなっていたという。それよりも、川の堤防と同じ高さで建てた、店舗と住宅は、無事だった。その家に戻れる日は、何時になるのか。それまでの、生活は成り立たないという。商店なので、取引先への支払いが、出来ない、思案投げ首の状態でいるという。
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