八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

山河四望春

2010年12月31日 20時31分40秒 | Weblog
新年おめでとうございます。拙いブログを、閲覧くださいまして、ありがとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。本当に拙く、嘆きがあり、自嘲がありで、折角、覗いているのに、時間をムダにしてしまっていると、思うと恐縮致しております。アホカアって、聞こえてきます。新年そうそう、嘆きからはじまります。人生、たそがれ期になると、後ろ向きなことを、考えてしまう。前向きと、思っている自分に云い聞かせても、目的が、漠然としているからだと、自覚はしている。現在は、目的ははっきりしている。懸命に生きることだ。生きていること。これは、自分に関係していることが、死によって迷惑をかけてしまう。迷惑をかけないためには、生きることだ。迷惑はなんだろうか。物質とか、金銭とかは、多少はかけるが、誰にも迷惑はかけない。動物として、自分の手で、食べ物を摂れなくなったら、だまって、終わりになることを、願っている。またまた、禅語百選より、引用です。「死なば死ね 生きなば生きよ ものはみな 死にてぞ死なぬ 世に生くるなり」。勿論、よく理解は出来ていない。よく分かるよう、今年一年努めることにする。
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